お子さんの子育てや教育について考えていくと、どこかで見聞きする「アクティブラーニング」という言葉。
なんとなく分かりそうで分かりにくい言葉ですが、いったい何を意味し、どのような教育方針が込められているのでしょう?
近年の日本の教育改革を語るうえで欠かせない、アクティブラーニングの方法論やその実態などについて解説します。
位置づけの変遷
アクティブラーニングと公教育のかかわりには紆余曲折の経緯があるため、事実とポイントをまず確認しておきましょう。
・2012年に文部科学省の中央教育審議会(中教審)で「大学教育の質的転換」の一環として、「従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である」と提唱される
・その定義としては、「能動的に学修して育成される認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図ること」とされる
・その方法としては、「発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効」とされる
・2014年頃から、「大学だけでなく、小学校・中学校・高校も一貫して教育のあり方を見直し、授業の“中身”だけでなく“方法”、“何を学ぶか”ではなく“いかに学ぶか”を重視する」動きが起こる
・2020年度の新学習指導要領では「外来語で定義が曖昧」という理由から「アクティブラーニング」の記載が消え、「主体的・対話的で深い学び」へと表現の変更がなされる
・その中身について、「これまでにも充実が図られてきた学習を更に改善・充実させていくための視点」であり、「今までの授業時間とは別に新たに時間を確保しなければならないものではない」と明言される
このように、2022年現在では当初の「アクティブラーニング」は「主体的・対話的で深い学び」と捉え直されたうえで、小・中・高のカリキュラムにすでに取り入れられています。
したがって、 アクティブラーニングは
- もともと大学教育向けの思想である
- 公的文書に記載がなくても、教育現場ではすでに「主体的・対話的」と解釈されて認知・実践されている
という点にまず留意しましょう。
パッシブラーニングの時代
こうした一連の動きは何を意味するのでしょうか?
そもそもアクティブラーニングとはどんなものなのでしょうか?
対義語となる「パッシブラーニング(受動学習)」が理解の取っかかりになります。
パッシブラーニングとは、従来型の「教師による授業内容をひたすら暗記する」教育方式です。
昭和~平成中期まで日本の多くの学校で主に行われていた方式、ともいえます。
パッシブラーニングはその名の通り、受け身主体の教育法です。
物事を深く考えずとも現場が回ることから、教師側も生徒側も都合がよく、ある意味では楽な仕組みでした。
まるで”ロボット”のように余計なことは考えず、唯々諾々と「教えるべきこと」を教え、「覚えるべきこと」を覚えさえすればよかったのです。
教育現場は当時の日本社会の忠実な反映でもありました。
ところが21世紀に入り、コンピュータやインターネットなど情報技術が飛躍的に発達しました。
大量の知識を覚え込む必要性がぐっと下がった代わりに、社会のさまざまな問題を解決するための思考力や創造力を育む重要性が増したのです。
もちろん、いかなる思考や創造のプロセスも「既存知識の模倣と組み合わせ」から生まれるため、最低限の知識は依然として必要です。
より深く掘り下げるための検索キーワード程度の基礎知識(いわゆる中高生レベルの知識)は広く知っておく必要はあるものの、むしろ多種多様な知識を関連づける多角的・俯瞰的な見方が必要になり始めたのです。
アクティブラーニング=学びの原点
新鮮な響きがある反面、アクティブラーニングは実は古い方法でもあります。
本来、人類の学びはそのように行われてきたからです。
太古の人々は狩りや木の実の採集、植物の培養などをすべて実地で体当たり式に学び、より効率的な方法について議論を交わしたことでしょう。
時代が下るにつれ、アクティブラーニングはどうして姿を消してしまったのでしょうか?
江戸時代の寺子屋では座学が行われましたが、ほとんどの子どもは農業や商工業に日常的に従事し、学問はあくまで経験的な学びの補足的な位置づけでした。
変化が訪れたのは、近代の産業革命以後です。
大量生産に従事する工場労働者が必要になり、画一的な均質教育が世界中で始まりました。
限られた人々のものだった教育の、いわば大量生産化です。
その後、爆発的な人口増加と教育機会の均等、教育内容も高度化などに伴い、すべての人に教育を授ける必要が生じた結果、内容は抽象化し、良質な実地教育は困難になりました。
こうして、実地教育はパッシブラーニングによる公教育に取って代わられたのです。
「失われた30年」の教訓
経済的背景もあります。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれ、一時は世界を席巻した隆盛はもはや見る影もなく、世界経済が年々成長するなかで日本経済は30年前のまま止まっています。
客観的な指標でみると差は顕著です。
代表的な上場企業の平均株価を日米で比較すると、アメリカ(S&P500)は1990年以降の30年で約9倍になったのに対し、日本(TOPIX)はこの30年で約0.9倍に留まります。
30年間の成長率に10倍もの差がついた原因は言うまでもなく、”GAFA”のようなIT企業や自動車のテスラに代表される数々のベンチャー企業が創造的なイノベーションを生み出し、巨大なグローバル企業になったからです。
多くの革新的なベンチャー企業が育った要因には優秀な移民を受け入れる開放的な制度や、ベンチャー企業を支える体制などにありますが、それらの土壌となるのは先進的な教育制度です。
アメリカでは古くは1900年代初頭、教育学者ジョン・デューイが教育現場で初めてアクティブラーニングの一手法である「問題解決型学修」を取り入れました。
その後、1980年代にはすでに今の日本と似たような経済危機に陥ったため、急変するパラダイムシフトに対応すべく、1990年代にアクティブラーニングが確立されました。
アクティブラーニングが目指す主体性や創造性は、IT企業の根幹を支えるプログラミング的思考と親和性が高いため、誰もが知る数々の革新的な企業の創出に結びついたと考えらえます。
脱・成長との両立が課題に
近年では経済指標だけでなく、SDGsの動きに象徴される気候変動などの環境問題も大事な観点です。
COP26で「化石賞」を連続受賞したように、日本の取り組みは相当遅れているのが現状です。
経済成長とはいっけん相反する”脱・成長”の課題にどう対処するか、近視眼的な視座では太刀打ちできません。
難題を解決する画期的なアイディアを生み出すには、体験から育まれる知恵や議論を醸成し、問題解決型思考を育むアクティブラーニングが役立ちます。
現状では日々の宿題やドリル学習に追われ、自分が毎日食べているお米についてさえ知らない子どもも増えています。
日本の主食であり、数少ない自給率100%を誇る食品の生産実態すら知らないのは由々しき事態です。
せめて短期間でも田んぼに出て、春には裸足で田植えや草むしりをし、秋には刈り入れや脱穀をし、ときに虫に刺される不快さも経験しなければ、農業の大変さや歴史に思いを馳せることもなく、環境投資の重要性を肌で実感できないでしょう。
このような時代要請の変化から、時代遅れとなった「一方通行の知識偏重教育」に代わり、「双方向で主体的に学ぶ」教育が脚光を浴び始めたのです。
アクティブラーニングの方法論
では、アクティブラーニングはどのように行われるのでしょうか?
以下が代表的な方法です。
参加体験型学習
実際的な活動体験を通して学ぶ方法です。
問題解決型学習
プロジェクトベースで行う学習法です。
討論するテーマを決めグループで討議し、最終的に問題解決策をまとめます。
探究学習
グループではなく生徒が一人で課題を決め、情報収集やフィールドワークをとおして結論を出していきます。
ジグソー法
グループで課題を決めたあと、メンバーを一部入れ替えて別の課題を探索します。
メンバーと交流し、最終的にメンバーをもとに戻して解決策を模索します。
いずれの方法も、「フィールドワーク」「グループワーク」がカギになり、「何を」より「どう」学ぶかに重点がおかれます。
教科ごとの取り組み
これらの方法を適用し、各教科に対して以下のように実施されています。
国語
コミュニケーションツールである国語は集団の学びに適しています。
協力して読解作業をしたり、プレゼンテーションをしたりします。
英語
国語同様、読解やプレゼンテーションに活用されます。
母国語である国語と違い、ある程度基礎的な単語に習熟していないと会話が成り立たず、瓦解する恐れもあります。
算数・数学
実際の経済活動と絡めたり、クイズのような難問を解くことに活用されます。
円滑に進めるには、ある程度の計算力・思考力を事前に培うことが前提になります。
社会
グループワークに適している教科であり、農業や工業の実地見学・体験や、経済や法律のような抽象的な分野の議論にも役立ちます。
理科
基礎知識の吸収と並行しながら、観察や実験の結果を議論をすることで、より本質的な理解を深めます。
このような主要5教科での取り組みはアクティブラーニングに触れ、その方法論に親しむきっかけとなります。
そのうえで、模擬国会や模擬裁判、SDGsに関する食糧問題や環境問題など、より実践的な課題にまつわるグループディスカッションに取り組むことで、科目横断型の総合的な思考力を養うことができます。
現場への導入事例
各教科の導入事例は無数にありますが、以下では科目横断型の導入事例をご紹介します。
豊田市立五ケ丘東小学校
2004年に完成したビオトープを活かした授業を導入。
周辺には多様な生き物(野鳥や昆虫)が好み、利用できる樹種を選んで少しずつ植栽して環境を整えています。
3・4年生が動物調査、5・6年生が環境委員の活動を行います。
毎朝ビオトープを回り、池の水位や小川の水の量、不審物等などを点検。草地、池、田んぼ、小川の生き物を観察し、外来種の侵入有無を調べ、管理日誌に記入します。
また、森林再生のため、ペットボトルのキャップや書き損じのハガキの収集も行います。
岩手県立盛岡第三高等学校
2006年よりアクティブラーニングを導入しています。
震災後に被災地の見学、がれきの処理、復興特別講座や、復興街づくり、レポートの製作発表など地元に根づいた被災地復興を考える授業を行っています。
アクティブラーニングにまつわる批判と誤解
こうした成功事例はあるものの、アクティブラーニングはまだ歴史が浅いため難しく、多くの学校では手探りの状態にあるのが実情です。
アクティブラーニングの定着を妨げる背景には、以下のような批判や誤解があります。
1.初歩的な誤解
主体的な学びを”単なる放置”と解釈し、「生徒を自由に遊ばせておくこと」としばしば誤解されます。
その結果、教師の言うことを聞かず、生徒たちが自由におしゃべりしていて遊びと区別がつかないケースです。
教師の力量か、生徒の学力や主体性に問題があるため、根本要因を改善する必要があるでしょう。
2.教師の育成が不十分
英語やプログラミングは通常、その道の教育を受けた専門の指導者がつくのに対し、アクティブラーニングは外国人教師ではなく、未経験の日本人指導者が行わざるを得ません。
その点に関し、開成高校の元校長である柳沢幸雄氏は「教える側にも相応の技術が必要で力量が問われる。その能力を持った教員は多くない」とアクティブラーニングの問題点を鋭く指摘しています。
また、アメリカ式教育では教師と生徒が活発に議論を行うために「いかに子どもたちにしゃべらせるか」が重要なポイントになるとも柳沢氏は述べています。
そのためには、教科の知識だけでなく、コミュニケーションスキルや人間性も要求されます。
実際、意欲が低い生徒や議論に飽きる生徒がいると雑談をしたり、好き勝手なことをしかねません。
議論が停滞した場合、教師による効果的で柔軟な声かけが不可欠です。
3.学力低下への懸念
アクティブラーニングの安易な推進はパッシブラーニング、すなわち基礎知識習得の軽視につながるという意見もあります。
たとえば、国語・算数で培われるはずの文章力や計算力がおろそかだと思考力が養われず、創造にも結びつかないでしょう。
また、「パッシブラーニングは強い」というのが日本の初等教育の統一的見解でしたが、国際的な評価基準では近年その雲行きも怪しくなっています。
OECD(経済協力開発機構)による国際学力調査(PISA)の結果では、2018年で読解力は加盟国77-78カ国中、日本は15位に落ち込んでいます(科学的リテラシーは5位、数学的リテラシーは6位)。
読解力は2003年に14位に落ち込んで以降、劇的な改善はみられていません。
このことから「読解力」など基礎スキル向上を優先すべきという声も出ています。
4.パッシブラーニングとのバランス
別の批判的論調は「アクティブラーニングは知識を詰め込んだ末に成り立つ」という意見です。
プロジェクトベースの学習や体験学習では、アイディア出しやディスカッションを円滑に進めるコミュニケーションスキルや段取り力、バラエティ豊かな経験など、総合力が問われます。
また、プレゼンテーションやディベートを行うには瞬発的に論理的な主張を構成しなければなりません。
このように議論が実践的になるほど、事実や専門知識の高度な積み上げが必要です。
でないと、論理の筋道が通っているもののいつまでも程度が低く、説得力に欠ける議論が交わされるフワフワした”ディベートごっこ”になりがちです。
一方で、アクティブラーニングはトピックに対する興味や知識欲をかき立てるため「学習定着率」が高いというデータもあり、必ずしも「パッシブラーニングの対立概念」ではありません。
よって、初等中等教育でどこまで知識を重視すべきか、両者の比重や順序は今後も考えるべき課題です。
5.定義が曖昧
アクティブラーニングは典型的な受験教育で育った人には新鮮な手法に映る一方、 多くの標準的な学校では昔からある、理にかなった方策のひとつに過ぎません。
”物差しの置き方”によって、最先端の手法にも回顧的な手法にもみえるため、過剰な期待感や失望を生む点も問題です。
温度差のある議論を成立させるには、共通理解を得るための定義づけが求められます。
6.”焼き直し”である
「詰め込み教育 vs. ゆとり教育」の綱引きの議論と同様、昔やったことの単なる焼き直しという批判もあります。
「今日直面しつつある問題は人間社会がこれまで経験したことのなり新しい時代からの挑戦である」
上記の文言は新しいようにみえて、実は50年前(昭和46年)の文部省の教育指針の引用です。
「単に知識をつけるより問題に対してどう向き合うか」という問題意識は昔からあり、手を変え品を変えた施策ともいえます。
7.ゴール設定が不適切
「結局、ゴールを変えないと変わらない」という意見もあります。
ゴールとは大学入試のことです。
共通テストや民間試験の導入など、近年の入試改革で一部見直されたとはいえ、根本的な知識偏重傾向に変わりはありません。
この状況ではいくら国として号令を推し進めても学校が入試対策に特化する限り、パッシブラーニングの呪縛から抜け出せないでしょう。
大学入試を適切な形に変えれば、中高の入試やそれを見据えた教育の変化が期待できます。
例えば、フランスの大学にあたるバカロレアの入試は4時間の論述試験で、以下のような設問からなります。
(私たちは、未来に対して責任があるか?)
-La technique nous libère-t-elle de la nature ?
(技術は私たちを自然から解放するか?)
このような答えのない問いに適切に回答するには、アクティブラーニングのような教育法はむしろ不可欠です。
前提知識をやみくもに詰め込まず、設問に応じた知識を摂取し、自らの考えを組み立てる学習法に自然と切り変わることでしょう。
まとめ
問題解決力と創造力がますます求められる社会の要請に従い、これからの教育現場では主体的で対話的な学びを目指すことが必須です。
学びの”原初の型”であるアクティブラーニングは、従来型のパッシブラーニングとの適切な併用で高い学習効果が望めます。
その一方、大人数の現場での実践には深い理解や工夫が必要とされるため、教師には豊かな経験と技量が求められ、生徒には前提知識や倫理規範が身につけさせる準備も必要です。
未だ過渡期にあるため、理念・実践の両面から批判もあり、教師・生徒の両者が的確に動けているか、第三者による客観評価の制度づくりも肝要です。
”絵に描いた餅”にならぬよう、方法論と活用事例をしっかり学んだうえで現場へ積極的に活用されることが期待されます。
この記事を監修した人
「大成会」代表
池端 祐次
2013年「合同会社大成会」を設立し、代表を務める。学習塾の運営、教育コンサルティングを主な事業内容とし、札幌市区のチーム個別指導塾「大成会」を運営する。「完璧にできなくても、ただ成りたいものに成れるだけの勉強はできて欲しい。」をモットーに、これまで数多くの生徒さんを志望校の合格へと導いてきた。