文部科学省の諮問機関、中央教育審議会(以下、中教審)は2019年10月、高校教育改革の一環として「STEAM教育」を取り入れることを決めました。
中学生以下の子供やその保護者は、近い将来、高校でSTEAM教育が始まると思っておいたほうがよいでしょう。
STEAMは次の単語の頭文字を取ったものです。
Technology(技術)
Engineering(ものづくり)
Arts(芸術)
Mathematics(数学)
中教審は、日本の科学力と技術力を世界最高水準に持ち上げるには、今の高校で行なわれている数学や理科などの授業だけでは足りず、STEAM教育が欠かせないと判断したわけです。
STEAM教育が注目されるようになった背景を解説したうえで、STEAM教育の内容と課題を紹介します。
背景~なぜいまSTEAM教育なのか
文部科学省を始めとする政府がSTEAM教育に注目したのは、「Society5.0」の実現が急務だからです。
Society5.0を実現するためのSTEAM教育といっても過言ではありません。
中教審は次のように述べています。
■技術の進展に応じた教育の革新
●Society5.0で求められる力と教育の在り方
国は、幅広い分野で新しい価値を提供できる人材を養成することができるよう、初等中等教育段階においては、STEAM教育を推進するため、「総合的な学習の時間」や「総合的な探究の時間」、「理数探究」等における問題発見・解決的な学習活動の充実を図る。
STEAM教育を理解するには、Society5.0の知識が欠かせません。
Society5.0とは「新たな社会」「日本が目指すべき未来社会」
Society5.0の「Society」は社会という意味で、「5.0」は5番目のという意味です。
Society1.0は狩猟社会、2.0は農耕社会、3.0は工業社会、4.0は情報社会です。
2020年現在の日本は、まさに4.0から5.0へと移行しようとしている時期にあります。
そしてSociety5.0とは、政府によると「新たな社会」「日本が目指すべき未来社会」のことです。
Society5.0は「こんな社会」
高校にSTEAM教育を導入するのは、これからの高校生に、Society5.0の構築を託したいからです。
だからこれからSTEAM教育を受ける子供は、STEAM教育のゴールである「Society5.0の姿」をイメージしておいてください。
Society5.0の社会では、すべてのものがインターネットにつながります。
これをIoTといいます。
例えば、スマホも、電話とインターネットがつながっているので、IoTのひとつです。
スマホのアプリを使って、自宅のクーラーのスイッチをオンにするのも、クーラーとインターネットがつながっているのでIoTです。
すべてのものをIoT化すると(つまり、インターネットにつなげると)、あらゆる情報、あらゆるデータ、あらゆる知識を集めることができます。
そして、それらの情報、データ、知識を、みんなで共有することができます。
Society5.0では、過疎化問題や少子化問題といった深刻な社会問題が解消されます。
例えば、過疎地に居ても、ドローンで生活物資を宅配できれば、楽々生活することができます。
IoT化が進めば、イノベーションが起こりやすくなるので、不便に感じことがかなり減るはずです。
イノベーションは「技術革新」という意味で、これまでになかったものを生み出すことです。
Society5.0を実現するためには、AI(人工知能)とロボットの進化が欠かせません。
AIが進化すると、退屈だけど重要で、しかも大量に存在する雑務をコンピュータに処理させることができます。
AIは人間を単純労働から解放します。
ロボットが進化すると、退屈かつ重要かつ危険な作業を、大量に処理することができます。
ロボットは人間を危険労働から解放します。
これらはSociety5.0のほんの一部にすぎませんが、これだけでも、相当な知識と研究と勉強が必要になることがわかります。
そして、従来の教育では、到底Society5.0を実現できないこともわかると思います。
だから政府や文部科学省や教育の専門家たちは、STEAM教育に注目したわけです。
政府が焦るのは「経済力」が落ちているから
政府が、高校教育改革を断行してまでSociety5.0の実現を目指すのは、日本の経済力が落ちているからです。
日本はかつて、アメリカに次ぐ世界第2位の経済力を持っていました。
そして一時は、「アメリカを追い抜かすのではないか」という勢いすらありました。
ところが現在の日本は、1位のアメリカと2位の中国に、かなり引き離された状態での3位に甘んじています。
国の経済力を示す指標にGDP(国内総生産)がありますが、2018年は次のようになっています。
( )内は1ドル100円で計算したものです。
- 1位:アメリカ 20.6兆ドル(2,060兆円)
- 2位:中国 13.4兆ドル(1,340兆円)
- 3位:日本 5.0兆ドル(500兆円)
- 4位:ドイツ 4.0兆ドル(400兆円)
- 5位:イギリス 2.8兆ドル(280兆円)
日本とドイツとイギリスのGDPを合わせても、全然中国に及びません。
アメリカははるかその先にいます。
もし、経済力、科学力、技術力において「中国は日本より劣った国だ」という印象を持っていたら、それはあらためなければなりません。
中国は、コンピュータでも、スマホでも、AIでも、家電でも、インターネットサービスでも、自動運転車でも、日本を凌駕しています。
そして、日本企業の多くが、アメリカや中国で開発された技術を使って商売をしているのが現状です。
このままでは、アメリカと中国は、日本に先駆けてSociety5.0を実現させるでしょう。
そうなれば、Society5.0で必要になる技術の特許は、アメリカと中国が総取りしているはずです。
日本やその他の国は、アメリカと中国に特許料を支払って、それらの技術を「使わせてもらう」ことになります。
技術の世界では「標準」をつくった国が覇権を握ることができます。
そして、覇権を握った国だけが驚異的に繁栄し、その他の国はそれをサポートする側に回ることになるので、それほど豊かになることができません。
日本政府は、Society5.0を、せめて米中と同着ぐらいで実現させたいと考えているはずです。
また日本国民にとっても、そのほうがよいはずです。
Society5.0を実現するためのSTEAM教育は、だから高校に導入しなければならないのです。
内容~STEAM教育で授業はどう変わるのか
STEAM教育の内容について詳しくみていきましょう。
目玉は「総合的な探求の時間」と「理数探求」という授業
STEAM教育を知るうえで重要な資料となるのが、中教審の「新しい時代の高等学校教育の在り方ワーキンググループ」(高校改革WG)というグループが2019年10月に発表した、「新学習指導要領の趣旨の実現とSTEAM教育について~『総合的な探究の時間』と『理数探究』を中心に」です(※)。
STEAM教育の目玉は、まさにこの「総合的な探求の時間」と「理数探求」で、これらは「授業名」になるでしょう。
※参考:https://www.mext.go.jp/content/1421972_2.pdf
重厚なコンセプトと実利主義
「総合的な探求の時間」と「理数探求」のコンセプトは、次のとおりです。
・文系、理系にとらわれず、学習指導要領に定めたさまざまな科目をバランスよく学ぶ
・幅広い分野で新しい価値を提供できる人材を養成する
・各教科での学習を、実社会での問題発見や問題解決に活かせるようにする
・教科横断的な教育を行う
・レポートや論文を課す
・論理立てて主張をまとめられるようにする
・産官学連携や地域連携をしながら進める
かなり重厚な内容になっていることがわかります。
また「真の学問」や「人としての生き方」といった理想が語られているわけではない点も、注意したいところです。
では、このコンセプトで何が語られているのかというと「実利」です。
実利とは、現実の利益、実際の効用という意味です。
例えば「新しい価値」「実社会」「問題発見」「問題解決」「論文」「産官学」「地域」といった言葉に、実利の考え方が反映されています。
Society5.0は、理想の国の話ではなく、10年後、もしくは3~5年後の現実の日本の社会を描いています。
そのため「総合的な探求の時間」と「理数探求」の授業では、Society5.0を本物の社会にするために必要な知識と情報を学ぶことになります。
「総合的な探求の時間」と「理数探求」がどのような授業になるのか、それぞれをさらに詳しくみていきましょう。
「総合的な探求の時間」はどのような授業になるのか
「総合的な探求の時間」の授業では、高校や教師の「準備」が重要になります。
つまり、文部科学省が定めた高等学校学習指導要領と教科書をそのまま教えればよい、という教育スタイルからかなり離れることになります。
ただもちろん、高等学校学習指導要領に順守することになります。
準備には次のようなものがあります。
- 現代的な諸課題を探す
- 総合的または科目横断的な課題を探す
- 例えば、国際理解、情報、環境、福祉、健康などの課題を探す
- 地域や学校の特色に応じた課題を探す
- 生徒の興味や関心に基づく課題を探す
- 生徒の将来の職業や進路に関する課題を探す
課題を探したら、それを解決するための目標を設定します。
「総合的な探求の時間」のゴールは、その目標を達成して、課題解決に寄与することになります。
上記の課題はどれも難しいものばかりです。
今の大人たちが解決できないからこそ課題として残っているので、難しいのは当然です。
そのため「総合的な探求の時間」で、教師が高校生たちに「これらの課題を解決しなさい」「目標を設定しなさい」「目標を達成しなさい」といきなり指示しても、やりようがありません。
そこで教師は、生徒たちに次の力を身につけさせます。
情報活用能力
情報活用能力とは、コンピュータやインターネットを適切かつ効果的に活用して、必要な情報を集め、整理する力です。
言語能力
目標を達成して課題を解決するには、「考えるための技法」が必要になります。
つまり「どのように考えたらいいのか」というテクニックを身につける必要があります。
そのためには、生徒たちの言語能力を高める必要があります。
例えば、3人の生徒が協力して情報を集めることになったとします。
このとき3人は、作業を分担したり、集めた情報を統合したりしなければなりません。
そのような高度なコミュニケーションを実現するには、高い言語能力が必要になります。
また、日本国内に情報がなければ、アメリカや中国のサイトを閲覧する必要が出てきます。
そのとき、英語や中国語といった言語が必要になります。
生徒たちが<情報活用能力>と<言語能力>を身につけたら、次に「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」の獲得を目指します。
それでは次に、「総合的な探求の時間」の授業の進め方を紹介します。
高校の教師は、次の3ステップで授業を進めていくことになります。
ステップ1:資質と能力の育成
生徒は、自ら課題を発見して解決していけるようにならなければなりません。
ステップ1では、そのために必要な資質と能力を育成します。
生徒に、探求することの意義や価値を理解させます。
また、現実の世界に対して、自分がどのように関わっていくか考えさせて、自発的に情報収集、情報整理、情報分析、まとめ、表現ができるようにします。
また、仲間との協働作業を主体的に進められるように指導します。
互いのよさを活かしながら、「新たな価値を創造しよう」「よりよい社会を実現しよう」と思えるようにします。
ステップ2:探求を高度化する
ステップ2では、ステップ1で身についた探求心を高度化していきます。
ここでの目標は次の4点です。
- 目的と方法の「整合性」を取る力を養う
- 使用して活用する「効果性」を実現する
- 問題を焦点化する「鋭角性」を身につける
- 視点を広げる「広角性」を獲得する
この内容は、企業の新入社員研修になってもよいような、高度なものです。
それだけに、Society5.0の実現には欠かせない資質であり、STEAM教育の「肝」になる部分といえます。
ステップ3:自律的に探究していけるようにする
ここまでに「自ら」や「新たに」といった言葉が出てきました。
Society5.0は、単なるSociety4.0の進化版ではありません。
Society4.0の時代には想像すらできなかったものが、Society5.0には登場します。
そのため、ステップ3で生徒が身につける「自律的に探究していける」力は、Society5.0の原動力になります。
これまでの高校教育は、教師が持っているものを生徒に与えるものでした。
そのため授業は「授ける」と名づけられています。
しかし「総合的な探求の時間」の授業では、生徒が自ら「課題」を見つけ、自で解決法を「運用」できるようになることを目指します。
そのためには、自分の知識と生活を結びつけて考える「参画」も必要になります。
「理数探求」はどのような授業になるのか
「理数探求」の授業は、「理数探求基礎」と「理数探求」の2部構成になっています。
概念図で示すとこうなります。
理数探求 (広義) | 理数探求(狭義) |
↑ 理数探求基礎 |
理数探求基礎
「理数探求」(広義)の授業ではまず「理数探求基礎」を学びます。
ここでは次の内容を学習します。
- 探究の意義や過程についての理解や研究倫理についての理解
- 事象を分析するための基本的な技能
- 課題を設定するための基礎的な力
- 探究の過程を遂行する力
- 探究した結果をまとめる力
- まとめた内容を適切に表現する力
こうした理解、技能、力を身につけるために、探求手法を学んだり、観察・実験・調査を数学的・科学的に実施したり、研究倫理を学んだりします。
理数探求(狭義)
「理数探求(狭義)」の授業では、次の内容を学習します。
- 興味・関心に応じて主体的に課題を設定する力
- 多角的、複合的に事象を捉える力
- 課題を設定する力や探究の過程を整理する能力
- 成果を適切に表現する力
このような高度な力は、高校の教師だけでは教えることができないので、大学や研究機関、博物館の協力を得ることになります。
そして「理数探求基礎」でも「理数探求(狭義)」でも、生徒たちは、探求した結果を報告書(レポート)にまとめることが求められます。
本物の研究者の使命と酷似している
「理数探求(広義)」の授業では、生徒たちに報告書(レポート)を課します。
この報告書は、大学の教授などの研究者たちが執筆する「論文」のような存在になります。
研究者たちは、自分で研究テーマを定め、仮説を立て、取材や実験や調査を行って仮説を立証し、結果を出し、その内容を論文にして世の中に公表します。
STEAM教育では、高校の教師は生徒たちに、自律的に学ばせ、最終的に報告書の提出を求めることになるので、本物の研究者たちがしていることと同じです。
「国の力」を測るとき、「論文数」も重要な指標になります。
2016年の論文数の国際比較は、次のようになっています。
- 1位:中国、426,165本
- 2位:アメリカ、408,985本
- 3位:インド、110,320本
- 4位:ドイツ、103,122本
- 5位:イギリス、97,527本
- 6位:日本、96,536本
日本の6位は、寂しい結果といえます。
論文が少ないということは、
- 研究していないか
- 研究していても結果が出ていないか
- 結果が出ていても論文にしていないか
のいずれかになります。
いずれも「よくないこと」です。
「研究して、結果を出し、論文を書く」ことの重要性を理解するためにも、STEAM教育が必要になります。
課題~STEAM教育の実施は「相当難しい」
ここまでの説明で、STEAM教育の重要性と、それを実行することの難しさを理解できたと思います。
米中が開発したSociety5.0を借りてくれば、日本を簡単に「Society5.0な社会」にすることができます。
しかし、そうではなく、日本が率先してSociety5.0を生み出していくには、高校生のうちから「それだけのこと」をしなければなりません。
だから、STEAM教育の内容が高度になっているのは、仕方がないことなのです。
そうなると、「果たして今の高校の先生たちに、STEAM教育を実施できるのか」という不安がわいてきます。
実際に中教審でも、その課題が話し合われています。
STEAM教育の提案者ですら難しさを覚悟している
STEAM教育を高校教育に導入するよう提言している中教審の高校改革WG(WGはワーキンググループの略)は、この、まったく新しい教育を高校で根づかせるためには、次のような課題があると指摘しています。
・高校の教師は、合科的な指導の視点が弱い
・STEAMのうちTechnology(技術)とEngineering(ものづくり)の分野をどう充実させていくか
「合科的」とは、教科横断的という意味です。
STEAM教育のコンセプトには「文系、理系にとらわれず、さまざまな科目をバランスよく学ぶ」ことや、「各教科での学習を、実社会での問題発見や問題解決に活かせるようにする」ことが含まれています。
ところが高校の教師はこれまで、自身の専門分野だけを教えてきました。
例えば、高校の物理の先生は物理しか教えませんし、数学の先生は英語を教えません。
これでは、教科横断的な授業をすることはできません。
STEAM教育を実施するには、高校教師にSTEAM教育を覚えてもらわなければなりませんが、誰が、または、どの機関が、高校教師にそれを教えるのでしょうか。
そして現行の高校教育には、技術とものづくりの授業はありません。
工業高校や農業高校には、技術とものづくりの授業があるかもしれませんが、それを単に普通科の高校に導入するだけではSociety5.0の実現は難しいでしょう。
より高度な技術の授業とものづくりの授業を、どのようにつくっていったらよいのでしょうか。
STEAM教育の提案者ですら、その実現の難しさを実感しているわけです。
まとめ~新しいことをどう教えるか
高校改革WGでは、委員たちから次のような意見も出ました。
- アメリカのSTEAM教育では、教師が複数の教材を組み合わせて授業をつくっている
- 日本のSTEAM教育でも、教師に自由度を持たせて、自立した授業を組み立てる必要がある
- 技術やものづくりをクローズアップしすぎると、高校の現場での実践が苦しくなる
- 学習意欲が低い生徒にはSTEAM教育を行うことは難しい、という意見もある
- 生徒に、STEAM教育に興味と関心を持ってもらう「きっかけ」をどう与えるかが課題になる
高校改革WGの委員たちは、日本で最も詳しくSTEAM教育のことを知っている人たちです。
その人たちが、これだけの課題を挙げているのですから、STEAM教育の導入は、相当な難事業になるに違いありません。
「STEAM教育の導入」とは、生徒たちにまったく新しいことを教えることに他なりません。
しかも、新しいことを教えなければならない高校の教師にとっても、新しいことになります。
STEAM教育を高校で実施することが決まっても、しばらくは難航するかもしれません。
しばらくは結果が出てこないかもしれません。
しかし、日本の社会がSociety5.0に変らなければならないことは、多くの国民が了承できることだと思います。
そのためには「STEAM教育の産みの苦しみ」を、生徒、高校教師、文部科学省、大学などの研究機関、民間企業などが、協力して乗り越えていかなければなりません。
その他の特徴的な教育法
北海道の【スーパーサイエンスハイスクール】をご紹介
文科省認定スーパーグローバルハイスクールとは【北海道編】
この記事を監修した人
「大成会」代表
池端 祐次
2013年「合同会社大成会」を設立し、代表を務める。学習塾の運営、教育コンサルティングを主な事業内容とし、札幌市区のチーム個別指導塾「大成会」を運営する。「完璧にできなくても、ただ成りたいものに成れるだけの勉強はできて欲しい。」をモットーに、これまで数多くの生徒さんを志望校の合格へと導いてきた。