子供たちへの教育の在り方を考える、文部科学省の諮問機関「中央教育審議会」(以下、中教審)が2019年に、小学校でも「教科担任制」を導入すべきである、とする方針をまとめました。
教科担任制とは、1教科しか教えない先生が教える仕組みです。
早ければ2022年度にも、小学校5、6年生に導入されます。
これは、よいことなのでしょうか、効果は期待できるのでしょうか。
さまざま観点から検証してみます。
学級担任制と教科担任制の基礎知識
教科担任制は、珍しい教え方ではなく、中学や高校では普通に行なわれています。
中学や高校には、担任の先生以外に、「英語の先生」や「数学の先生」などがいて、それぞれの先生は、英語や数学などしか教えません。
担任の先生も、自分のクラスの生徒に対しても、自分の専門教科しか教えません。
これが、教科担任制です。
一方で、現在の小学校は、担任の先生がすべての教科や大半の教科を教える「学級担任制」を採用しています。
中教審が、まず小学5、6年生から始めるのは、年齢が中学生に近いからでしょう。
小学5、6年生が教科担任制で授業を受ければ、「中学スタイル」に慣れることができます。
小学5、6年生で教科担任制を試してみて、問題点を洗い出したり、改善したりして、効果があることがわかれば、より下の学年に拡大するのかもしれません。
このことから、教科担任制を提案した中教審も、慎重であることがわかります。
小学校における学級担任制と教科担任制の現状
先ほど、現状の小学校は学級担任制を採用している、と紹介しましたが、それでも「100%学級担任制」というわけではなく、一部の教科ではすでに教科担任制が採られています。
「この教科だけは、担任の先生以外が教えている」という状況が、現在でも存在します。
文部科学省が2019年7月に公開した資料によると、教科ごとの「教科担任制」率は以下のとおりです。
数字が大きいほど「担任以外の先生が教えている」率が高くなり、数字が小さいほど「担任が教えている」率が高くなります。
国語
(書写除く)
書写
算数
理科
社会
外国語活動
1年生
1.1%
6.6%
1.5%
2年生
2.3%
13.5%
2.5%
3年生
2.4%
26.8%
5.1%
21.6%
6.0%
11.3%
4年生
2.5%
29.7%
5.9%
32.3%
7.4%
12.0%
5年生
3.4%
26.6%
7.3%
45.1%
14.5%
18.3%
6年生
3.5%
26.8%
7.2%
47.8%
15.5%
19.3%
生活
音楽
図画工作
家庭
体育
1年生
0.8%
12.2%
4.3%
6.1%
2年生
1.6%
20.7%
9.8%
7.4%
3年生
40.6%
16.8%
7.7%
4年生
47.8%
20.4%
8.4%
5年生
54.0%
20.4%
33.9%
9.9%
6年生
55.6%
21.0%
35.7%
10.5%
国語はすべての学年で4%未満でした。
つまり、96%超の小学校の先生は国語を教えているわけです。
ただ、国語の一部である書写(習字の授業)だけは3割近くに達しています。
これは、書写の指導には「字をきれいに書ける」という高度なスキルが求められるからでしょう。
国語の次に数字が小さいのは(つまり、担任の先生が教えている率が高いのは)、算数でした。
なんとか10%未満に抑えています。
つまり、他の先生に頼らないようにしています。
理科は6年生で47.8%になっています。
ほぼ半数の担任教師は、理科を教えてないことになります。
そして音楽は5年生と6年生で50%をゆうに超えています。
「音楽の先生に頼っている」現状がうかがえます。
担任の先生が、楽器を弾けなかったり「音痴」だったりすると児童たちがかわいそうなので、音楽の専門の先生が教えたほうがよいのでしょう。
どういうふうに教える教科をわけているのか
現在の小学校では、担任とそれ以外の先生は、どのように教える教科をわけているのでしょうか。
文部科学省によると、次のように分担しているようです。
・担任とそれ以外の先生が、同時に同じクラスで授業をするチームティーチングをしている(例えば、複数の先生が協力して授業を行なっている)
・先生の得意分野を活かしている(例えば、担任を持つ先生が理科が得意だったら、その先生は自分のクラスの授業をしながら、別の担任の先生のクラスの理科を教えている)
・中学や高校の先生のうち、小学校の教員免許を持っている先生が、小学校で専門の教科を教える
・中学校の英語の先生のうち、小学校の教員免許を持っている先生が、小学校で英語を教える
・非常勤講師が、例えば音楽だけを教える
小学校だけでなく、中学校や高校を含め、先生たちが自分のスキルを融通し合っていることがわかります。
なぜ突然「小学校にも教科担任制を」と言い出したのか
ここまでの説明で、なぜ突然、中教審は2019年というタイミングで「小学校にも教科担任制を」と提唱したのか、という疑問がわくでしょう。
現状は、小学校は、先生をやりくりしながら、ときに中学校や高校に助けを求めながら、学級担任制を主軸としつつ、部分的に教科担任制を使って、教育の質を落とさないように学校運営しています。
しかしこの方法に限界が見えてきたのです。
文部科学省は、現在の小学校教育には次の課題があると指摘しています。
・児童の語彙力や読解力に課題がある
・いじめの重大事態や児童虐待の相談対応件数が過去最高になっている
・障害のある児童、不登校児童、外国人児童が増えている
・先生の長時間勤務が深刻化している(小学校の先生の時間外勤務は平均月約59時間)
・小学校の先生の採用試験の倍率が急落している(2000年12.5倍→2017年3.5倍。小学校の先生になりたい人が急減している)
・小学校のICT(情報通信技術)が弱いうえに、地域格差も大きい
・人口減少と少子化により、ひとつの市町村にひとつの小学校しかない自治体が増えている
小学校には問題が山積みであることがわかります。
これを担任の先生1人で解決することはできません。
小学校の教科担任制化で、どう変わることを期待しているのか
中教審と文部科学省は、小学校が抱える問題を、教科担任制に変えることで解決しようとしています。
では、この2つの機関は、教科担任制化で、小学校がどう変わることを期待しているのでしょうか。
中教審は、教科担任制にすると、教材研究が進むと考えています。
小学校の先生たちは、文部科学省が定めた教科書を終身に授業を展開しますが、副教材や先生のオリジナルの資料を使うことによって、授業の内容をさらに深掘りすることができます。
学級担任制では、担任の先生は、国語も算数も社会も理科も、教材研究をしなければなりません。
それは大変です。
教科担任制にすれば、教科担任の先生は自分の専門教科だけを深掘りすることができます。
中教審は、教科担任制にすることで、先生の授業の準備が効率的になると読んでいます。
先生の負担が減れば、政府が進める「働き方改革」にもつながります。
小学生の保護者はどう考えるべきか
中教審は2022年度から、小学校に順次、教科担任制を導入していく方針を示しましたが、これがうまくいく保証はありません。
だから中教審も「一気に」ではなく「順次」導入していくのでしょう。
ただ、中教審は教育の専門家集団です。
当てずっぽうで方針を決めたりしません。
科学的な根拠があって「教科担任制なら諸問題を解決できる」と踏んだはずです。
こうした状況から、2022年度以降に小学生の保護者になる方々も、小学校の教科担任制化について「自分の考え」を持っておいたほうがよいでしょう。
例えば、2022年度以降の小学生が、生き生き生活でき、すくすく成長し、学力も上がれば「教科担任制に変えたお陰」と評価することができます。
逆に、2022年度以降に、自分の子供の小学校でいじめが増えたり、先生とのコミュニケーションが取りづらくなったり、子供の学力が下がったりすれば、「教科担任制のせいかもしれない」と疑うことができます。
保護者が、教科担任制化をしっかり観察し、それを小学校の先生たちにフィードバックすれば、文部科学省や中教審にも届くはずです。
それが、よりよい制度を生み出していきます。
そこでここからは、小学校の教科担任制化についての、肯定的な意見と批判的な意見の両方を紹介します。
保護者は、これらを参考にして自身の考えを構築してみてください。
肯定的な意見
小学校に教科担任制が導入されることによって、よい効果が生まれると考えている人たちの意見を紹介します。
勉強の教え方として理にかなっている
1人の先生が1教科を教えたほうが、子供たちの学習効果は高まります。
学習効果を考えると1教科でも広すぎるくらいで、本来は1人の先生が1教科のなかの1分野に絞って教えてもよいくらいです。
例えば、最も高度な内容を教えている大学では、1人の教授が学生たちに教えている内容は、とても狭いものです。
大学には「英語の先生」はいません。
いるのは、例えば「中世のイギリス文学の先生」です。
大学には「理科の先生」もいません。
いるのは「理科の物理の量子力学の先生」です。
中学には「英語の先生」がいますが、高校によっては「英文法の先生」と「英語長文の先生」にわかれていることもあります。
いくら優秀な先生であっても、ひとつの教科をすべて確実に教えることはできません。
ましてや、小学校の先生のように国語も算数も社会も理科も体育も教えることは、「本当の学問の世界」では、あり得ません。
小学校が教科担任制を導入するのは、勉強の教え方としても理にかなっています。
教育を受ける機会が平等になる
小学校の先生たちの、専門分野や得意分野は、それぞれ異なります。
例えば、ある学校の4年1組の担任の先生は理科を教えるのが上手で、4年2組の担任は算数を教えるのが得意だったとします。
このとき、4年1組の児童は理科の成績が上がりやすくなり、4年2組の児童は算数の学力が上がるでしょう。
これは、教育を受ける機会が不平等になっています。
こういった状態が起きるのは、学級担任制だからです。
教科担任制なら、理科を専門にする先生が、4年1組でも2組でも3組でも理科を教えるので、教育を受ける機会が平等になります。
専門外を教えなくてよいので先生が楽になる
小学校の先生たちも、教科担任制を歓迎するでしょう。
なぜなら、苦手な教科を教えなくて済むからです。
もちろん、小学校の先生たちは訓練を積んでいるので、苦手な教科であっても、文部科学省や保護者が求める水準をクリアしているはずです。
しかし、苦手な教科を教えることは不安がありますし、退屈です。
例えば、理系の教科が得意な小学校の先生なら、「なぜ子供たちに文学を教えなければならないのか」と疑問に思いながら国語を教えているかもしれません。
さらに「小学生でも算数が特別できる子供がいるから、そのような子供には中学の数学を教えてもいいのではないか」と思っているかもしれません。
このような先生に国語を指導させるのは酷な話であり、このような先生こそ、教科担任制を待ち望んでいるでしょう。
中学校の先生も小学生を教えられるようになる
現在でもすでに一部の小学校では、中学校の先生に来てもらって、専門教科の教育を依頼しています。
教科担任制になれば、中学の先生を小学校に派遣する回数も増えるでしょう。
例えば、中学の数学の先生が小学校に行って算数を教えれば、「今、教えたことは、中学の数学の勉強でも役に立つから忘れないように」といった指導ができます。
小学生たちは、授業のなかで自然と、中学の勉強の準備をすることができます。
担任と「合わないリスク」を減らすことができる
学級担任制の小学校では、児童を見るのは、1人の先生の「目」だけです。
教科担任制を導入した小学校では、複数の先生の「目」が児童を見ることになります。
先生が悪いのか、子供のほうに非があるのかは、なかなか特定できませんが、残念ながら、先生と児童の「気が合わない」ことは小学校で頻繁に起きています。
担任の先生と気が合わない児童は不幸です。
なぜなら、最低でも1年間は、好きではない先生とずっと過ごさないとならないからです。
規模が小さい小学校なら、3年間担任が変わらないことも、6年間同じ担任に教わることも起こり得ます。
教科担任制になり、ひとつのクラスを複数の先生が教えるようになれば、担任の先生と気が合わない児童も、別の先生の授業のときにリラックスできます。
そして、別の先生に出会えたことで「勉強が劇的に好きになる」子供はたくさんいます。
教科担任制は、そうしたチャンスを増やすことができます。
批判的な意見
続いて、小学校に教科担任制を導入することを、批判的にみている人の意見を確認していきましょう。
「先生との絆」が弱まる
学級担任制の場合、先生と子供たちは1日の大半を一緒に過ごすことになります。
それは先生と子供の絆を強めます。
小学生はまだまだ子供です。
社会性が身についていませんし、自分をコントロールすることもできません。
頼りになる大人がそばにいて、見守りながら、躾をしながら、教育していくことができる学級担任制は、小学校教育では理想の形態といえそうです。
教科担任制は、この学級担任制のよさを打ち消してしまいます。
教科担任制が導入されると、先生と子供の絆が弱まってしまうかもしれません。
「保護者との絆」が弱まる
学級担任制は、先生と保護者の絆も強めています。
現在の小学校の先生は学校での子供のすべてを見ています。
そのため、保護者は、自分の子供のことを安心して先生に相談できます。
先生にも、学校での子供の様子を完全に把握しているという自負があるので、自信を持って保護者にアドバイスすることができます。
小学生の保護者は、子供が学校を卒業するとき、先生の苦労をねぎらい、感謝の気持ちを伝えるために、謝恩会を開くことがあります。
保護者のなかには、子供がここまで成長できたのは先生のお陰と、真剣に思っている人もいます。
それは、先生が自分の子供を我が子のように優しく、ときに厳しく指導してくれたからです。
教科担任制になると、先生と子供とのかかわりがこれまでより希薄になるので、それに伴い、先生と保護者の関係も希薄になるでしょう。
例えば、保護者が子供に関する深刻な悩みを相談しても、先生が「私は担任ですが、一日中、子供たちを観察しているわけではないので」と言う機会が増えるかもしれません。
見えづらい「よい点、悪い点」を見つけづらくなる
子供には、よいところも悪いところもあります。
そして、悪いところばかり目立って、よいところがなかなか見えない子も、よいところばかり目立って、悪いところがなかなか見えない子もいます。
学級担任制であれば、先生は、見えづらいよいところも、見えづらい悪いところも見えてきます。
例えば、わがままで、暴言を吐き、喧嘩ばかりする子供は、いつも先生から叱られることになります。
しかし、叱られるだけでは子供は成長できません。
かといって、よいところが見つからないのに、適当に褒めることもできません。
そのような子供であって、先生が徹底的に向き合えば、必ずよいところは見つかります。
学級担任制なら、そうした徹底的な付き合い方ができます。
逆に、成績がよく、気配りができ、友達に親切で、先生に従順な子供でも、意地悪なところがあるかもしれません。
そのような欠点は、大人が早めに指摘して、改善を促してあげないと、将来、性格が悪い人になってしまいます。
子供と徹底的に向き合っている先生なら、子供がひた隠す底意地の悪さを指摘してあげることができます。
先生の指摘によってその子が恥じ入ることができれば、子供は自分の性格の悪さを直そうとするでしょう。
教科担任制に移行してしまうと、先生が子供たちの「真の姿」や「裏の顔」を見抜けなくなるかもしれません。
教科横断的な授業が組めなくなる
学級担任制での小学校の先生は、子供の知に総合的に関わることができます。
これは、初等教育では有効に働く可能性が高いでしょう。
例えば、学校の成績が全般的に悪い子供がいたとします。
その子は授業を真剣に聞き、家庭学習も十分時間をかけています。
全教科を教えている先生なら、「この子は九九ができないことがコンプレックスになっていて、勉強全体を嫌いになってしまったのかもしれない」と見抜くことができます。
小学生の場合、九九ができるようになった途端に、他の教科の成績が上がることは珍しくありません。
または、「国語ができないから、算数の問題の意味が理解できないのかもしれない」と見抜くことができるかもしれません。
もしくは「得意の英語の授業が始まったことで自信がつき、勉強のモチベーションが高まり、その他の教科にも相乗効果が現れ始めた」と観察できるかもしれません。
小学校の先生が、教科横断的な授業をすることはとても重要です。
各教科は、学習指導要領や教科書に沿って教えなければなりませんが、ある教科と別の教科がつながっていることも教える必要があります。
学級担任制ならそれができますが、教科担任制に移行してしまうと教科横断的な授業は難しくなるでしょう。
なぜなら、例えば算数の先生は、算数を教えることがミッションになってしまうからです。
子供のうちから、専門的な知識を植えつけないほうがよい、という意見もあります。
数学の天才少年・少女がまれに現れますが、その子に数学だけを教えても、あまりよい効果は期待できないでしょう。
すべての教科をまんべんなく教えたい、という教育方針であるならば、教科担任制でないほうがよいでしょう。
まとめ~両極端にならないように
中教審は、一気に一斉に、教科担任制を小学校に導入するわけではありません。
まずは小学5、6年生で試してみます。
また、現在の小学校がたくさんの課題を抱えている以上、これまで長年続けてきた学級担任制の効果を疑うことは、正しい判断といえます。
しかし、学級担任制が、先生と子供の絆や先生と保護者の絆という、児童教育においてとても重要なものを育んできたことは間違いありません。
すなわち、一気に教科担任制を導入することも、かたくなに学級担任制を継続することも、よいことではありません。
文部科学省には、学級担任制と教科担任制のよさを殺さないようにしながら、両方の欠点が露出しないような運営をしていただきたいものです。
この記事を監修した人
「大成会」代表
池端 祐次
2013年「合同会社大成会」を設立し、代表を務める。学習塾の運営、教育コンサルティングを主な事業内容とし、札幌市区のチーム個別指導塾「大成会」を運営する。「完璧にできなくても、ただ成りたいものに成れるだけの勉強はできて欲しい。」をモットーに、これまで数多くの生徒さんを志望校の合格へと導いてきた。