日本では、昔からテンプレート的な人生があります。
それは、なるべく良い大学に入って、良い企業に入り、家族を持つということです。
これが、一般的な幸せだと認知されてきました。
しかし、本当にそうでしょうか。
皆が皆、その王道のルートに乗れば、幸せになれるのでしょうか。
今回は、このあたりについてみていきます。
良い大学に入るのは良い企業に入るため
大学受験の場合、高校にもよりますが、一般的には早慶にいけたら成功者とされます。
上智は早慶より1ランク落ちることから、準一流と形容されることがあります。
早慶以上は一流大学で間違いありません。
そして、なぜ一流大学へいくことを親が薦め、世間が評価するのかというと、一流企業へ就職できる可能性が高いからです。
良い大学とは早慶以上
現在でも、五大商社やメガバンクなどトップクラスの組織では学歴フィルターが存在しています。
早慶以上でハンデキャップがなくなり、上智や東京理科大あたりから、採用率が明確に落ちていくイメージです。
一般に国立大学は入試難度が高く、ここに入れば問題ないと考える人がいます。
しかし、もちろん同じ国立でもピンキリです。
東京一工は一流で、早慶以上の評価を受けます。
他に旧帝国大学と括られる国立大学群(北海道大学、大阪大学、九州大学、名古屋大学など)は、早慶より評価が劣ります(阪大は例外)。
上智や東京理科大のような準一流といったところが妥当です。
さらに地方国立大学としての筑波や横浜国立大学などは、旧帝よりさらに劣ります。そ
の下に駅弁大学(茨城大学、信州大学、広島大学など)と揶揄される国立大学群が存在します。
この辺りになると、一流企業に就職するのにむしろハンデになります。
早慶の評価が高いのは良い企業にいく可能性が高いから
つまり、一番の目標は東京一工や早慶に自分の子を入れるために、親はたくさんのお金を払って私立の進学校に通わせたり、大手の予備校にいかせたりするわけです。
そしてそれは、世間体なども理由としてありますが、やはり最も大事なのは良い企業に内定をもらうためです。
将来一流企業でエリートになる可能性が高いからこそ、良い大学に入れば世間体が良くなる、ともいえます。
前述の通り、いまだにトップ企業では学歴フィルターが存在していて、親が思うこの王道のルートは、その価値が薄れていません。
早慶以上に入れば、大手企業への就職が他大に比べてしやすくなるのは事実だからです。
「良い大学に入れば選択肢が増える」の現実
ただ、子どものほうは、別に大手企業じゃなくても良い、と思っているケースがよくあります。
そんなとき、親や学校の先生は、「良い大学に入ればそれだけ選択の幅が増える」といって納得させます。
ここに現実との乖離がみられます。
特有の評価軸の影響で選択肢が狭まる
どういうことかというと、良い大学に入ると、相応の評価軸が存在します。
つまり、本当に自分がやりたい仕事をやれる企業でもそれが聞いたこともないところだと、「え、そんな会社しかいけないの?」と思われることが多くあります。
なぜかというと、皆が良い企業に入るために良い大学に入っていて、やはりそれまでの通り、親や先生が与える価値観を踏襲して、当然に大手こそ至高、という思考で就活を行うからです。
就職活動の時期になると、それこそ高校のときの進学先決定のごとく、誰々が電通やソフトバンク、三菱商事、三井住友銀行に内定をもらった、という話で持ち切りになります。
皆が早稲田や慶應にいく進学校に通っていて、自分は日大にいくのだとしたら、それが本当に自分にとってやりたいことができる選択だったとしても、やはり言うのが恥ずかしい、と思ってしまいます。
周囲の評価を無視するのは相当の根性がいる
イメージだけだと、いや、自分はそんなことはない、周りには流されない、と思うかもしれません。
しかし、実際に顔を合わせて、一緒に大学生活を送ってきたあの子もその子も一流企業から内定をもらい心の底から喜んでいるのを見ると、自分もそこに価値を感じざるを得なくなります。
周りから就活力が低いと思われながら社会人になるのは、イメージするより遥かに強い根性がいります。
実際、そうできる人は多くはありません。
良い企業に入っても幸せではない現実
そしていざ、世間から一流企業と呼ばれる会社に就職しました。
それで、後は仕事をバリバリ頑張って、家庭を持って、家を建てれば、さあ、幸せな人生が完成します。
というのがテンプレート的幸せ人生なのですが、ここで違和感を覚える人が多発しています。
つまり、良い会社に入ったはいいものの、あれ、毎日が地獄なんですけど、という感覚です。
プライベートな時間が極小
仕事は19時まで、って聞いていたのに、誰も帰らない。
21時を回って、22時を回って、ようやくぽつぽつと帰りだす。
家に帰ってシャワーを浴びて、さあ好きなアニメを観ようと思っても、時刻は既に0時を回っている。
明日も会社がある。
そろそろ寝なければ、と仕事をして帰って寝るだけの生活です。
仕事が早く終わった日も、よし、今日は家でのんびりしよう、と思っても、上司から飲みに誘われます。
仕事の話もあるし、自分の立場的にも断るわけにはいきません。
結局、この日も家に帰ったら寝るだけの一日でした。
と、このような生活になる可能性があります。
それでも、仕事自体にやりがいがあって、それが楽しくてしょうがない、というタイプの人だったら良いです。
しかし、仕事も楽しくないし、このまま仕事を続けていても、大して給料も上がらないし出世したところでスキルは身につかない、など今も将来にも希望を見出せない人がいます。
思っているよりモテを実感できない
一流企業に入れば周りがチヤホヤしてくれて、モテるようになる、と聞いていたのに、そんなことは全然ない、という現実にも気づきます。
それは、慶應に入ったときと同じで、そこにいるのは皆がその組織の人たちだからです。
そのなかで特別にスキルを発揮して目ざましい出世を遂げるのでない限り、モテることはありません。
モテるとすれば、他の会社の社員と合コンをするときぐらいです。
しかし、そもそも合コンに来るような人は好きじゃない、という方は多いですし、さらに前述のように忙しければ合コンしている時間も体力もありません。
王道ルートは幸せへのエスカレーターではない
一流企業に入れば、後は楽をして、エスカレーターに乗っているかのように黙っていても勝手に出世して幸せの最上階へ連れて行ってくれるわけではありません。
厚生労働省が公表する新卒の3年以内の離職率でみると、事業規模により異なりますが、概ね25~50%ほどとなっています(※)。
※参考:厚生労働省 新規大卒就職者の事業所規模別就職後3年以内の離職率の推移
多くの人が、幸せであったはずの王道ルートに疑問を感じて、離職する道を選んでいます。
幸せの形は人それぞれ
結局のところ、何が幸せなのかは人によって違います。
それは、休日の過ごし方が人によって違うのと同じです。
友だちと話しているのが好きな人もいれば、一人でゲームをしているのが好きな人もいます。
カラオケで歌っているときに幸せを感じる人もいれば、図書館で静かに読書をするのが至上の悦びだという人もいます。
先の王道ルートというのは、いわば幸せの価値観の押しつけに過ぎません。
具体的には、一人でゲームをしているよりも友だちとワイワイ喋りながらしたほうが楽しいに決まってる、図書館で一人で本を読むよりみんなで楽しく歌ったほうが楽しいに決まってる、といったことです。
実際には、何も決まってはいません。
その人がそうであるだけで、百人一様や十人一色という四字熟語がないように、あくまで百人百様、十人十色が真実です。
つまり、確かに良い大学を出て良い企業にいけば、幸せを感じる人がいるかもしれません。
しかし、それはあくまでその人は、であって、誰でもそうとは限らないわけです。
王道ルートの外にも幸せへの道はある
慶應を出て大手の商社で働かなくても、東大を出て霞ヶ関で官僚にならなくても、幸せになれる道はいくらでもあります。
むしろ、エリートも官僚も幸せでもなんともない、逆に地獄の選択肢だと考える人すらいます。
自分のやりたいことをやるのが幸せ
結局のところ、自分がやりたいことをやって生きていくのが、幸せです。
やりたいことというのは、楽なこととは違います。
たとえば、ネットゲームが大好きで、一日中ゲームをしていて生きていけたら幸せ、というのは違います。
一日中ゲームをしていたら楽しくて楽かもしれませんが、お金を稼げなければ食べる物が手に入らず、やがて餓えてそれこそ地獄が待っています。
それでは幸せな人生ではありません。
ゲームが好きで、だからこそ世の中に最高のゲームを届けたい、という思いを持っていたとします。
そしてクリエイターになって活動し、実際に自分が良いと思えるゲームを生み出せたら、幸せを感じます。
もちろん、仕事をしていますからお金がなくなって食べられなくなることもありません。
やりたいことを見つけるのは難しい
高校生のときに、やりたいことを見つける、というのは現実的には難しいです。
何事も、やってみないと分からないからです。
高校では、あらかじめ決められた時間割通りの授業を受けて、限りのある選択肢のなかから部活動を選びます。
さらにバイトをする人もいますが、それでも高校生でバイトができる選択肢はまた限りがあります。
そのような与えられた生活の小さな世界のなかでは、自分にどんな可能性があって、何に喜びや幸せを感じるのか、実体験が少ないですから分かりようもないわけです。
やってみたら違うという可能性もある
テレビを観ていて面白い番組があり、将来はこんな面白い番組を制作できるようになりたい、と考えたとします。
しかし、大学生になってインターンにいったり、実際に働いている先輩から話を聞いたりすると、とんでもないブラック企業だと知る可能性があります。
基本的にテレビ業界は、定時という概念がありません。
番組の収録が長引いたり、編集が上手くいかなかったりすれば、深夜0時を超える(業界用語ではてっぺんを超える)ことはよくあります。
最悪、終電がなくなることもあります。
このように、高校生のときに思い描いた目標たる職業が、大学生になっても、あるいは実際にその職に就いても、満足のいくものかどうかは分かりません。
その仕事の中身を知って、実際に番組を制作するよりも、構成作家のほうが向いている、と気づくかもしれません。
脚本家やシナリオライターのように、面白い作品を構成するほうが、適している人はいます。
別の選択肢で学歴フィルターにかかるかもしれない
このとき、番組制作にしろ、放送作家になるにしろ、高い学歴は必要ありません。
番組制作は外部の会社にアウトソーシングしますし、放送作家もまたテレビ局員としての採用ではないからです。
一方で、テレビ局員になる場合、特にキー局は高い学歴が必要となります。
少なくてもMARCH以上はなくてはなりません。
局のアナウンサーだと、やはりMARCH以上が多いです。
稀に成蹊大学出身のアナウンサーもいます。
やりたいことを高校生のうちにはっきりさせるのは難しいです。
なんとなくテレビ業界、というイメージがあっても、番組を制作したいのか、放送作家になりたいのか、局員になりたいのか、アナウンサーになりたいのか、色々な選択肢があります。
上述のように番組制作をしたいと思っていても、実際に内情を知ると微妙に感じるかもしれません。
それからの放送作家へのシフトチェンジだと学歴は関係ありませんが、局員や局アナとなると、話は変わってきます。
王道ルートの強みが生きてくる
つまり、ここで王道ルートが機能してきます。
なるべく良い大学を出ていたほうが選択肢が多くなる、というものです。
高校までの世界は後から考えればまだまだ狭いですから、そのなかで一生続けられるやりがいのある仕事を決断するのは土台無理な話です。
もちろん、大学に入ってからでも厳しいです。
実際に働き始めて、それからようやく自分との相性が分かったり、本当にやりがいのあるものかどうかが分かったりします。
そのため、新卒で入社しても1年以内にやめてしまう人が後を断たないわけです。
■選択肢の幅が広いのはやはり事実
そうなったときに、できるだけ良い大学を出ていると、次の選択で足かせになりません。
それまではなかった選択肢に魅力を感じたときに、学歴フィルターで選べないというのは避けたいです。
確かに、必ずしも良い大学を出て良い企業に就職するのが幸せではありません。
一流企業が万人に幸せを提供するわけではないからです。
しかし、良い大学を出ていれば選択の幅が広いのは確かです。
同じ一流企業でも、やはり会社によってワークライフバランスから理念から業務内容まで全く異なりますから、他の会社であれば幸せになれる可能性は当然にあります。
また、一流企業というのではなくても、業界や職種によって良い大学を出ていたほうが転職に有利ということもあります。
■やりたいことに確信がなければ「良い大学」へ
やりたいことがはっきりしていて、そのために学歴も全く関係がないことが分かっているのなら、別に良い大学ではなくても良いですし、そもそも大学にすらいく必要はありません。
たとえばスポーツをやっていて、すぐにでもプロにいける実力があるのに、わざわざ大学で4年も過ごすのは回り道です。
一年でも早くプロの世界に入ってより高いレベルを目指したほうが良いと判断できます。
そうやって賭けるものがみつかっていれば良いですが、そうではなくて、まだそこまでの確信を持てていない場合、翻意する可能性がある以上、できるだけ良い大学へいっておいたほうが、後々、やりたいことが見定まったときに余計な足かせになることがないのでやはり良いです。
良い大学から良い企業の王道ルートに変化
東大にいって国内のそれこそ五大商社のような良い企業に入る、あるいは五大省庁のような官僚になるのが、かつては王道中のトップラインと考えられていました。
しかし、実際に良い大学のなかでも最高の場所へ入った学生について、既に就職先選定の段階から変化がみられるようになっています。
それが、外資系企業の人気です。
やりたいことをやれる外資系の人気が急上昇
2018年卒の東大生・京大生の志望企業ランキングをみてみると、1位がマッキンゼー・アンド・カンパニー、2位がボストン・コンサルティング・グループ、3位はゴールドマン・サックスと、トップ3が外資系です(※)。
※参考:朝日新聞 AERA dot. 東大、京大生が“総合商社離れ”
国内の商社ではスキルを存分に発揮できない
その理由は、国内の総合商社の旧態依然とした年功序列型の社内政治、いきたくもない部署にいかされるかもしれない配属リスクを懸念してのことです。
外資系であれば、それこそ本来あるべき能力主義が当たり前に採用されています。
そのため、若くして管理職に就くなど、自分の能力を最大限に発揮して、それに応じてステップアップできる環境があります。
もちろん、総合商社のような配属リスクもありません。
■配属リスクを懸念する学生が増加
配属リスクというのは、やはり多様な業務を扱い、たくさんの部署がある国内の会社に入ると、つきまといます。
それこそ、やりたい仕事ができる部署に入っても、異動でやりたくないことをさせられるリスクです。
イメージしやすいのが市役所の職員です。
特に入庁も出世も学歴に左右されないので、日東駒専以下の学生から人気が高いです。
ただ、ケースワーカーや税金を扱う部署に入ると、クレームの嵐で見も心も疲れて切ってしまい、まったく幸せを感じられないという声がよく聞かれます。
ケースワーカーというのは、生活保護需給資格を判断する人です。
相手も生活がかかっているので必死です。
しかし、こちらも受給条件を厳格に判断しなければなりませんから、ときに厳しい対応も求められます。
別に意地悪をしているわけではなくても、相手がどう取るかは分かりません。
税金などお金が絡む部署はえてしてクレームが苛烈になります。
世間的評価と現実の乖離
世間では市役所の職員といえば安定して楽で子どもがなってくれたら安心できる、と評価されることが多いです。
その実、2~3年での異動が必須なので、常にやりたい仕事をするわけにはいかず、何かが上達してもやはり異動によってそのスキルも追求できません。
世間で良いとされている職業に就いたのに、毎日楽しくないし、おかしいぞ?と違和感を抱える人はよくいます。
それは、結局のところ、自分のやりたいことを明確に判断することなく、盲目的に親や世間が推奨したレールを進んできたことのツケが顕在化しているに過ぎません。
世間的評価より自分のニーズを優先
先の東大生の志望先の変化にみられるように、自分のニーズと志望先を照らし合わせることが必要です。
世間では総合商社がトップキャリアと考えられていて、内定が決まれば親も喜ぶけれど、巻き込まれたくもない社内政治に圧倒されて、スキルがあるのに評価の反映が遅く、さらに配属リスクを抱えながら過ごさなければなりません。
そこに我慢ができないのであれば、世間的な評価が高かかろうと何の意味もありません。
総合商社の腕章や、胸にバッジをつけて歩くわけではないですから、通勤中に誰もチヤホヤしてくれません。
■評価してくれるのは自分より下の世界の人間だけ
すごいと言ってくれるのは、たまの休みに会う、言い方は悪いですがこと一流かどうかの評価軸に傾倒するのであれば、自分よりも下のレベルで働いている友人や恋人だけです。
前述したように、多くの時間を過ごす職場は、当たり前に皆が同じ一流企業の社員なのですから、誰もすごいと言ってくれません。
お前一流企業ですごいな、お前もエリートだなやばいな、などとお互いに言っていたら気持ち悪いですし、そんなオーラが出ているだけでも周囲は引いてしまいます。
つまり、世間からすごいと言われる道を進んでも、実際にその世界に入ると、そこでの環境や競争でいっぱいになります。
外から見れば羨ましいと思っても、中にいる人からすればその恩恵を感じるシーンは極めて少なく、つらいだけの毎日だ、という場合も少なくありません。
それであれば、社会的評価よりも自分のニーズや目標をこそ優先するべきです。
本題どおり、良い大学に入って良い企業に入ることが、必ずしも幸せではない、むしろ思考を放棄してただ流れに身を任せて進んでいるのだとしたら、逆につらい目に遭う可能性が高い、ということです。
■自分のニーズを優先する例
高校や大学の選び方、さらに就職先に至るまで、自分のニーズや目標にとり、そこが相応しいかで判断します。
たとえば、獣医師になりたかったとします。
獣医師は、それに見合った大学学部を選ばなければなりません。
麻布大学には、獣医学部があり、多くの獣医師を輩出しています。
しかし、麻布大学は世間的に偏差値50程度の大学と認知されていて、学力的評価は高くありません(※)。
さらに獣医師も、普通の外科医や内科医のような医者に比べると、やはり職業的評価が落ちます。
※参考:ベネッセマナビジョン 麻布大学
一般に良い大学良い職業のルートからは外れます。
ただ、獣医師になるという志があるのですから、逆に東大の医学部に入って大学病院で医者になるよりも、その人にとっては幸せなわけです。
世間に与えられた王道ルートに傾倒することなく、自分の志を持ってその道を信じて進むことが、結局は自分の幸せにつながります。
子どもの幸せが親の幸せ
そして王道ルートを推奨していた家族ですら、エリートになったはいいが毎日つらくて嫌そうに出勤しているのを見るよりも、一流大学の出身でも一流企業の社員ではなくても毎日幸せそうに笑って家を出て行く姿を見るほうが、幸せに感じます。
特に両親は、何よりわが子がつらくて泣いているのを見るのが苦しいと思い、笑顔で幸せになってくれることを望んでいます。
■王道ルート=親孝行ではない
王道ルートで良い大学に入り良い企業に入るのが親孝行と考える人がいますが、実はそうではありません。
なんだかんだ言うかもしれませんが、親は子どもが幸せになって毎日笑顔で暮らしてくれたらそれで良いのです。
自分が幸せになることが親の幸せでもある、とそう考えて、自分の本当にやりたいことを見つけて、それに向かって最短の道を進むべきです。
ただそれがまだ明確でなかったり、今後変わる可能性があったりする場合には、とりあえずできる限り良い大学に入っておけば、翻意したときに学歴フィルターにかかりづらくなります。
良い大学から良い企業についてまとめ
世間では昔から王道ルートとして確立している良い大学から良い企業は、必ずしも幸せを約束するものではありません。
特に今は終身雇用型の古い体制が崩れていて、新卒で入った企業に定年までいる、ということは少なくなっています。
経済的にも労働者が企業を選ぶ時代になっていて、やりたいことをやる選択肢を取りやすいです。
我慢をしなければ生きていけない世の中ではありません。
この背景から、真にやりたいことをやるのが幸せ、という人間的で本来的な価値観が強まり、それがために王道ルートの信憑性にも翳りが見え始めています。
この記事を監修した人
「大成会」代表
池端 祐次
2013年「合同会社大成会」を設立し、代表を務める。学習塾の運営、教育コンサルティングを主な事業内容とし、札幌市区のチーム個別指導塾「大成会」を運営する。「完璧にできなくても、ただ成りたいものに成れるだけの勉強はできて欲しい。」をモットーに、これまで数多くの生徒さんを志望校の合格へと導いてきた。