「コミュ力」という言葉を最近よく耳にしませんか?
今の日本社会ではコミュニケーション能力、いわゆる「コミュ力」が特に大切とされます。
学力と体力が重視されたのはもはや昔の話。
今でもそれらが大事なのは変わりませんが、そのうえで円滑なコミュニケーション能力が学校や職場など、さまざまな場面で求められる風潮にあります。
社会で必須とされる「コミュ力」を学生のうちに身につけるにはどうすればよいでしょうか?
コミュニケーション能力の大切さやメリット、身につく方法について解説します。
コミュニケーション能力とは何か?
コミュニケーション(Communication)の原義は「共通の疎通を良くすること」です。
意志を伝達する「話す力」「聞き取る力」を一般に指しますが、「コミュニケーション能力」というと、意味するところが非常に幅広い言葉です。
多くの場合、使われる文脈や状況によってその意味も変わります。
そうした場の空気や状況を読み取る力さえ、コミュニケーション能力に含まれます。
たとえば、話し方や聞き方をいくら磨いたところで、相手の言う言葉の意味や、言わんとする意図がわからないと会話がチンプンカンプンになります。
辞書的な「語彙」が足りなければ、自分で調べるなり、勉強すればよいでしょう。
反面、特殊な業界用語・専門用語・略語・隠語・方言などの場合、周囲に意味を尋ねる必要があります。
このように「自分には何が分かっていないか」を自覚し、然るべき相手に適切に問う力もコミュニケーション能力といえます。
となると、素直さ・謙虚さ・自発性・積極性といった性格的な要素も必要です。
とはいえ、当たり前のことを頻繁に尋ねていてはひんしゅくを買うでしょう。
日本語の基本語彙や言葉遣い、日本人なら誰でも知っているとされる知識や流行、時事ニュースをつねに抑えておく必要があります。
したがって、コミュニケーション能力は机上の学習で得られる最低限の知識に加え、専門知識や現場経験、常識といったいわゆる”暗黙知”が土台になります。
コミュニケーション能力の判定基準
コミュニケーション能力の定義の広さや曖昧さは、しばしば齟齬をきたします。
極端な例を考えてみましょう。
英語がすこぶる堪能なバイリンガルの帰国子女がいたとします。
日本語能力にも問題はなく、業務上の会話や議論、プレゼンテーションやディスカッションにも長け、性格も良く、仕事のスピードや質も高く、きわめて優秀です。
仮にその方が、日本企業固有のローカルな風土をもつ職場に勤めたとします。
英語が必要な場面では大いに活躍しても、雑談の場では苦労を強いられるかもしれません。
学生時代の懐かしい話に花が咲いている最中、会話に参加できません。
日本の学校に一度も通ったことがなく、独特の雰囲気を知らないためです。
結局、前提が分からないまま発言して同僚の気分を害し、盛り上がっていた場の空気を壊してしまいました。
この方がはたして「コミュニケーション能力」に欠けていたかどうかは判断が難しいところです。
グローバルな環境では間違いなく「コミュニケーション優秀」と判定される人も、この職場では「空気の読めない人」と不名誉なレッテルを貼られてしまうからです。
つまり、コミュニケーション能力は英語力や計算力のように普遍的ではなく、場面や状況によって変動するということです。
コミュニケーション能力には偏りがつきもの
もっと一般的な例は、コミュニケーション能力を一部の人にしか発揮できないケースです。
日本の多くの職場は未だ上下社会、男性社会の傾向があり、目上に対するコミュニケーションは上手でも他は不得手な人がいます。
パワハラやセクハラが依然なくならないのは、部下や女性とのコミュニケーションが下手で距離感が測れないためです。
逆に、異性とのコミュニケーションのみ得意な人や、赤の他人とのコミュニケーションは万全でも、自分の家族と問題を抱えている人もいることでしょう。
要は「優れたコミュニケーション能力」といっても、必ずしも満遍ないものとは限りません。
老若男女、全方位的に問題がない人はむしろ稀でしょう。
コミュニケーションの3つの軸
このように、コミュニケーション能力は多義的で、少なくとも以下の3つの軸で区別されます。
(1)言語-非言語・言葉を駆使する「言語的コミュニケーション」
・表情やジェスチャー、文脈や場の雰囲気などを重視する「非言語的コミュニケーション」
(2)具体-抽象・意味を正確に伝達し、ときに専門用語を要する「具体的コミュニケーション」
・一般向けにわかりやすく簡潔に伝える「抽象的コミュニケーション」
(3)個人-集団・家族や友人との親密な「個人的コミュニケーション」
・学校や職場における「社会的コミュニケーション」
要求されることや伸ばし方はそれぞれ異なるため、ある軸の両極が得意な人もいれば、どちらか片方のみ得意な人もいるでしょう。
典型的な職場では「言語的・具体的・社会的コミュニケーション」、プライベートや家庭では「非言語的・抽象的・個人的コミュニケーション」が求められる傾向がありますが、その区分も曖昧です。
したがって、理想はすべての軸・方向に熟達し、時と場合に応じてそれらを使い分けることです。
高まるコミュニケーション能力の価値
コミュニケーションは人間関係の構築に必須です。
にもかかわらず、多くの日本人は男女問わず、人間関係に悩みを抱えていると言われます。
職場の雰囲気が悪く、家庭内は不和、という話が絶えないのは、明らかにコミュニケーション力の不足に一因があるでしょう。
一方、外国人(とりわけアメリカ人)は明るく社交的でオープン、すぐ打ち解けて家族の仲も良い、というイメージがあります。
これは経済的要因より文化的要因が強いと考えられます。
どうして日本人はコミュニケーションが苦手なのでしょうか?
日本を含め、アジアの一部の国々は謙虚や沈黙を美徳とする儒教国家です。
伝統文化や国民性が、近代的なコミュニケーションの促進を阻んだ面は否めません。
むしろ奥ゆかしい文化は20世紀の工業社会にマッチし、寡黙で朴訥、黙々と作業をこなす人が重宝されました。
コミュニケーションは実用面でもあまり重視されなかったのです。
ではなぜ、コミュニケーションの必要性が声高に叫ばれ始めたのでしょうか?
21世紀に入り、大量消費文化が成熟すると多くの産業は構造転換を迫られました。
ブレークスルーにつながる新たな事業開発を目指すうえで、不可欠なのは創造力です。
創造性の土壌となるのは、分野横断的なコミュニケーション力でした。
さらにグローバル化によって、国際的な言語能力も必須になりました。
こうしてコミュニケーション能力の価値が急激に高まったのです。
コミュニケーションの弊害
このようにコミュニケーション能力は有用ですが、万能でもありません。
最低限は別として、コミュニケーションがあまり要求されない職場も依然多いからです。
たとえば、職人気質で黙々と作業を続けることで仕事の質が上がる業務であれば、コミュニケーション能力はさほど重要ではありません。
また最近では個々のプライベートが優先され、余計な雑談やアフターファイブの”飲みニケーション”は嫌われる風潮にあります。
適度に親交を深め協調性を育むのも大切ですが、他人への過度な干渉は害とみなされます。
したがって、コミュニケーションの価値が絶対的でないことも弁えておきましょう。
学生のうちに身につけたいこと
以上のように、多方面にわたるマルチスキルである「コミュニケーション能力」は近年価値が高まり、学生の内から身につけることが推奨されるようになりました。
ただし複数の種類があるため、効率よく身につけるには、自分にはどの部分が足りないのか、意識して取り組む必要があります。
以下、種類ごとに解説します。
話す・聞く
同じ人間でも地域・人種・年齢・性別・職業などによって思想や目的、話す内容はガラリと変わります。
よって、多種多様な人とたくさん話す経験は何より大事です。
まずは、環境を共にする家族や友人、クラスメート、所属する寮・部活・バイト・サークルなど、ごく身近なところからはじめましょう。
よく知る間柄でも話していない話題はたくさんあるものです。
さらに、遠方の親戚や他校のつながり、近所の住民、地域のボランティア団体などに輪を広げ、できるだけ知らない人と出会い、交流することです。
そして、異国の地で外国語で話す経験も大切です。
異文化の歴史に触れて見聞を深め、現地の人々と直接触れ合う経験は貴重な機会になります。
表情や声
基本的なことですが、会話では表情や相槌、声の滑舌やトーン、タイミングなどがものを言います。
笑顔、口角を上げる、発声、身振り、ジェスチャーなど、意識的に練習したうえで実践しましょう。
言葉は「気持ちや感情を込めた分だけ伝わる」といいます。
多少拙くても、よく考えた上で必死に言葉を紡げば、相手も思いを受け取ってくれることでしょう。
専門性
とはいえ、国内外のいろんな人とざっくばらんに”おしゃべり”しているだけでは、目指す職業や専門領域の「具体的コミュニケーション能力」が一向に身につかないのもまた事実です。
そうした類のコミュニケーション能力は専門知識にほぼ比例します。
講義や講習の内容をよく咀嚼し、同胞と議論を重ね、教科書や専門書でコツコツ学ぶことが素地になります。
また、実習・体験・フィールドワークなどを通して実践的な経験を積みましょう。
想像力
コミュニケーションの齟齬の原因として、しばしば「想像力の不足」が指摘されます。
相手の意図がつかめず、自分の意志が思うように伝わらないのは、違う境遇や立場の相手、すなわち「他者」を思いやる力や配慮に欠けているからです。
そうした想像力を養うには、多様な会話経験は大事ですが、それだけでは不十分です。
「どうしてこの人はそのように考え、そのように行動をしたのだろう?」と他者の思考に想像を巡らせて慮り、表面的ではなく相手を深く理解し、できれば相手の思考と一体化することです。
とりわけ、子ども・お年寄り・障がい者・外国人のような社会的弱者と接し、生活の実態や適切な配慮を学ぶことです。
究極的には、犯罪者や独裁者など、反社会的な人間の心理にさえその範囲を広げることです。
相手と同化する危険も伴いますが、でないと社会悪の真因がつかめず、問題解決に結びつきません。
マスコミやジャーナリスト、警察はそうした類のコミュニケーションを図ります。
現場経験と同時にあらゆる知識を学び、知恵と経験を総動員して豊かな想像力を養いましょう。
教養
科学的知識も含まれますが、主には人文学的な素養を指します。
情報化社会ゆえに日々アップデートされる事象に目を奪われがちですが、真のコミュニケーション能力には時間的な奥行き、すなわち「古今東西の教養」が必須です。
時代は変わっても人間が興味をもつ対象や、思考・感情・行動・判断は本質的に変わりません。
科学や文明がいくら発達しても、人はほとんど進化していないためです。
人間の悲しい性ですが、裏を返せば何千年前の知識や経験が現代の私たちの血肉になります。
名著と呼ばれる過去の書物や記録には、数多の名筆家によって成功例や失敗談が綴られています。
基本的な人との付き合い方から、政治、経済、人生論、仕事術、学問修養、恋愛、結婚、育児などジャンルも多岐にわたります。
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」というように、人類の叡智を役立てない理由はありません。
とっつきにくければ、入門書や漫画から入りましょう。
喜怒哀楽や人生の教訓や悲哀がたっぷり詰まった名画鑑賞もおすすめです。
名優の台詞・表情・演技などから、文字では味わえないニュアンスがつかめるでしょう。
ディベート
特定の議題について討論するディベートは、ひとつの物事を違う角度からみる訓練になります。
表立って議論する役割以外にも、テレビ番組の司会者に求められるタイプの役割も重要です。
俯瞰して意見を調整したり、絶妙なタイミングで話題を変えるなど、新たな可能性を提示することで議論を深めることにつながります。
インターン・アルバイト
目指す業界のインターンやアルバイトを学生のうちに経験することは大切です。
短期間でも現場に入ることで、社会常識やビジネスのマナーだけでなく、業界のならわしや専門用語に通じ、求められるコミュニケーション能力が身につけられます。
トラブル経験
「やろう」と思ってやれるものではありませんが、仲間内やグループでのけんかや不和、いざこざはコミュニケーション能力を育てる絶好の機会です。
失敗は成功の糧であり、トラブルの元となる原因が分かると事前の回避策がわかります。
文通
思しき相手との手紙やメールなど、”短文のメッセージではないやりとり”を続けることは意外に大切です。
直筆の長文には互いの人間性が色濃く表れるため、理解力や文章表現力が高まることでしょう。
自分を知る
採用面接などに役立つ自己紹介もコミュニケーションのひとつです。
その大きな目的は「自分という人間を正しく伝えること」です。
どこで生まれ育ち、これまでどういう経験をして、どんな目的で何をしているかを相手に伝えられれば大半は達成したようなものです。
その必要がない例は、熟年夫婦です。
「以心伝心」「阿吽の呼吸」「ツーカー」という言葉があるように、長年連れ添った夫婦は最低限の言葉で十分なコミュニケーションが成立します。
お互いをすでに知り尽くし、関係性が出来上がっているからです。
逆に言えば、関係性や面識のない第三者や不特定多数とコミュニケーションを図るには、不足する多くの情報を補うために自然と言葉が必要になります。
ただ、自分を知って人に的確に伝えることは簡単ではありません。
自己の内面を掘り下げるとともに周囲からヒントを得るなどして、いちど文章に書き出してみましょう。
また、異なる相手に合わせられるよう、長短や硬軟を調整したいくつかのバリエーションをもつとよいでしょう。
言葉の不十分さを知る
「言葉は万能」と思われがちですが、全くそうではありません。
たとえば、「赤」といういっけん決まりきった言葉さえ、どのスペクトルまでを赤と指すか、その境界は明確に決まっていません。
「大谷翔平選手」といえば、同姓同名を除くと、意味はほぼ確定します。
しかし、「サッカー日本代表」といえば具体的に誰を指すのか、「民主主義国家」といえばどんな国家を指すのか、どんどん怪しくなってきます。
抽象的な言葉ほど、定義や範囲があやふやになるからです。
また、当たり前に使っていた言葉が、時代の移り変わりで解釈が揺れる場合もあります。
たとえば、日本に居住する外国人や、海外在住の邦人が増えた現在、「日本人」という言葉の定義は以前より難しくなっています。
日本語の曖昧さも原因ですが、だからといって英語にすれば解決する問題でもありません。
しつこくならない程度に言葉を補う必要性はつねに生じます。
言語の本質的な弱点である「非万能性」に自覚的になると、コミュニケーション向上の助けになるでしょう。
アートに通じる
このように、コミュニケーションにおける言葉の割合はじつは半分にも満たないかもしれません。
こうした言葉の不十分さを補うために、非言語の表現手段として発達したのがアートです。
画家・デザイナー・漫画家・アニメーター・ミュージシャンなど種類を問わず、アーティストはみな自己表現に長けています。
得意とするフィールドで、社会にいかにインパクトのあるメッセージを発信するか、日々模索するアーティストの作品や生き様は学ぶところ大です。
お笑いに学ぶ
話し方や伝え方の点では、落語や漫才などの古典芸能やお笑い番組も参考になります。
よくできたネタはセリフが練られ、話の展開が秀逸で無駄がなく、巧みな言葉づかいが計算されています。
また、ひとことも言葉を発さなくても感動したり、思わずクスっとなる場面があります。
優れた非言語コミュニケーションはさまざまな表現の宝庫といえます。
名を馳せた達人は若い頃、面白いネタを何度も聞き取り、書き起こす訓練をしているそうです。
知られた落語ネタや名スピーチを一言一句書き起こす訓練をすると、プレゼンテーションの向上につながるでしょう。
まとめ
コミュニケーション能力(通称、「コミュ力」)は近年、産業構造の変化とともにますます重視されています。
この能力には、読解・文章表現・会話のような言語スキルと、他者への想像力・性格・一般教養・専門知識・ユーモアを含めた非言語スキルが要求されます。
身につけるには、明示的な知識と”暗黙知”を得る継続的な学習と経験が必要です。
具体的には、人間関係の輪を広げて多種多様な人と接し、自己の内面を掘り下げて専門性を高め、ディベート・インターンなど幅広い社会経験を積みつつ、名著や名画に耽溺し、旅やアート鑑賞で見聞を広めるなど、良質な異文化コミュニケーションをひたすら積み重ねることです。
コミュニケーション能力は相対的な指標なので、適切な環境を選び、意識すれば誰でも改善します。
言葉の重要性と不十分さの二面性を認識し、自分に必要な部分を見極めたうえで、向上に取り組みましょう。
この記事を監修した人
「大成会」代表
池端 祐次
2013年「合同会社大成会」を設立し、代表を務める。学習塾の運営、教育コンサルティングを主な事業内容とし、札幌市区のチーム個別指導塾「大成会」を運営する。「完璧にできなくても、ただ成りたいものに成れるだけの勉強はできて欲しい。」をモットーに、これまで数多くの生徒さんを志望校の合格へと導いてきた。