小学校と中学校、高校、大学と学びの場は変わっていきます。
基本的に、進むにしたがって段々と規模が大きくなっていきます。
それに比例して当然に、学び方から授業の内容、生活スタイルにいたるまで変わります。
そこで今回は、小中高大それぞれの違いについて、とりわけ大きな変革がみられる小中高と大学との区分にスポットを当てて解説していきます。
小中高大の違いを表で確認
まず、ざっと小中高大の違いを表で確認します。
| 担任の有無 | クラス制か否か | 呼ばれ方 | 授業時間 |
小学校 | 担任制(全ての科目を担任が教える※) | クラス制 | 児童 | 45分 |
中学校 | 担任制(科目ごとに先生が異なる) | クラス制 | 生徒 | 50分 |
高校 | 担任制(同上) | クラス制 | 生徒 | 50分 |
大学 | 担任はいない | クラスはない | 学生 | 90分 or 100分 |
※音楽や体育など一部の科目のみ専門の教員がつくことがある。
上記のように小中高大では違いがあります。
生徒が知るべき小中高大の大きな違い
以下では、さらに生徒が知っておくべき大きな違いをみていきます。
自由度の違いが最も大事
小中高と大学の最も大きな違いは自由度です。
確かに小中高生は大学生について、なんとなく自由なイメージを持っています。
しかし、具体的にどういった点で自由なのか、ということを聞かれても、明確に答えられる子は少ないです。
そこで、ポイントごとに大学生が自由である内容をみていきます。
時間割
小中高生の場合、時間割はあらかじめ決まっているものを、ただ受け入れます。
高校生になると、多少選択の余地はありますが、それでも選択できる時限は限られています。
■大学生は人によって時間割が違う
一方で、大学生の場合、一部の必修科目を除いては、ほぼ全て自由に選択することができます。
選択科目のなかでも必修選択と自由選択の別があることが通常です。
必修選択は、決められた範囲のなかで、やはり所定の単位以上を選択しなければなりません。
自由選択は、それこそ自由にどんな科目も履修可能です。
多くの大学では、他学部の科目を履修することも認めています。
ただ、他学部科目の履修については制限があることも多いです。
たとえば、早稲田大学ではオープン科目や他学部聴講科目として指定されたものだけが履修可能です(※)。
クラス制
小中高では、クラス制が取られています。
同じクラスの皆と時間割に沿って一日中同じ授業を受けることになります。
しかし、大学では基本的にクラス制は取られていません。
上記で述べた一人ひとりが自由な時間割を作成できることとの均衡から、当然にクラス制は馴染みません。
本当に一部だけ、英語や第二外国語などの必修科目についてはクラスを設定することがあります。
担任制
小中高の場合、必ずクラス担任がいます。
4月に自分のクラスの担任が誰になるかで、生徒たちが一喜一憂するのは恒例行事です。
一方で、大学の場合担任はいません。
一応便宜的にクラスが設定されて、担任が設定されるケースもあります。
ただこの場合でも、進路の相談や三社面談を主体的に行う先生というよりは、あくまで学問の研究者としての立場にいる人ですから、人間関係は親密なものにはなりにくいです。
教科書
小中高では、生徒皆が科目ごとに同じ教科書を揃えます。
しかし、大学になるとそれもまた異なります。
たとえば、同じ民法総則という講義でも教授によって指定する教科書が異なります。
この点、大学でも自分が好きな教科書を使えば良い、というほどの自由度は基本的に認められていません(教授によっては特定の教科書を指定することなく推奨するに留め、選ぶのは生徒の便宜に任せるということがあります)。
教授は自分が携わっている書籍を教科書に指定することがあります。
高校の教師では考えられませんが、大学の教授は学生に学問を教える人である以前に研究者です。
そのため、研究活動の一環として何かしら自身の書籍を出しているケースが多いです。
アメリカの大学教授の場合、「Publish or Perish」という言葉があります。
これは「自分の書籍を出版せよ、さもなければ大学から去れ」という意味です。
日本はアメリカほどではありませんが、やはり大学教授には他ならないことから、この価値観が一定以上妥当するといえます。
出欠
小中高では、朝や授業開始の段階で出席を取ります。
そして、この出席数や授業態度、テストの点数により、成績が決まります。
■大学は出席を取らないこともある
大学の場合は、出席は必ずしも取られません。
特に大人数を相手にする講義の場合、出席は取らないことが多いです。
ではどうやって成績を出すのかというと、レポートやテストの点によります。
それこそ、1回も講義に出席していなくても、レポートやテストの出来が良ければ、良い成績がつくことがあり得ます。
1回も授業に出ていないのに良い成績をもらえるというのは、小中高では考えられません。
もちろん、大学でも全ての科目がそうではありません。
なかには毎回出席を取り、さらに抜き打ちで小テストを行ったり、頻繁にレポートを課す科目もあります。
このような科目で出席をしていないと、当然に単位を落とします。
■あらかじめ出席を取るかどうか調べておく
どのタイプの科目なのかは、シラバス(講義要綱)を参考にしたり、最初のお試し講義を受けたり、先輩から話を聞いたりして判断します。
たとえばそれが選択科目で、自由な時間を確保したいのであれば、出席を取らないものを優先して選ぶというのが有効です。
・早稲田の例
試しに早稲田大学のWebシラバスをみてみます。
初級ギリシャ語1(高梨誠)(※)という科目では、成績評価方法の欄に以下のように記されています。
・試験0%
・レポート0%
・平常点100%受講者に教科書にある練習問題に解答してもらうことで主に評価しますが、大きな項目ごとに簡単な小テストも実施する予定です。できる限り毎回休まずに出席することが重要です。
以上から、テストもレポートもないけれど、とにかく毎回授業に出て、主体的に望むことが求められていると分かります。
なるべく授業に出ないで単位が欲しい、という人には向きません。
一方で法学部設置科目の、民法(債権総論)A 01(白石大)(※)では、成績評価方法の欄に以下のように記載されています。
試験:100% 期末に実施する試験の成績によって評価します。
この場合、出席は関係なく、記載どおり試験の出来次第で評価されます。
それこそ、毎回真面目に出席していても、テストの点が悪ければ単位を落としますし、その逆もまた然りです。
なるべく講義に出席しないで自由の時間を確保して、テスト一発で評価されたいという人に向いています。
授業内容
授業内容についても、もちろん大きな違いがみられます。
最も大きな違いは、やはりゼミの存在です。
高校では、クラス全体に向けて先生が一方的に話したり、板書したりして授業が進みます。
先生によっては生徒を当てることで、授業に緊張感を持たせる程度です。
■大学のゼミは双方向型
しかし大学では、講義こそ一方的に教授が話して進みますが、ゼミでは双方向の内容になります。
俗にソクラテスメソッドとも呼ばれる方法で、教授と学生が積極的に対話をしながら、問題の着地点へと進んでいきます。
また、問題自体も、大学では学生が自ら設定する場面が多くなります。
高校では、教科書にしたがって、あらかじめ決められた単元を、決められた内容で行います。
文部科学省の策定する学習指導要領に沿っているために、どこの高校でも授業内容に大きな違いはありません。
しかし、大学では扱う問題自体が異なります。
同じ教授の同じゼミでも、集う学生によって扱う内容が異なります。
これは、学生が主体的に問題を提示して、その解決を教授と一体となって対話をして図っていくからです。
特に大学では、多くの学部で卒業論文が課せられます。
これについてもある程度の分野は決まっていたとしても、基本的には学生が自由にテーマを設定して、論旨を展開します。
■高校とは評価軸が異なる
高校のときは、とにかく教科書の内容を理解して、授業中に先生に当てられたらそつなく答えられる子が、優秀と評価されます。
しかし、大学ではより積極的に、それこそ能動的な姿勢で授業に取り組み、自分の意見を説得力を持って発信できる人が評価されます。
・正解かどうかは必ずしも重要ではない
それが一般に通用している学説のうえで、多数派なのか少数派なのかは大切ではありません。
むしろあまり主張されない稀な意見でも、自分なりに考えて、合理的なものであれば、授業内では高く評価されます。
このように、大学ではただ教科書に書いていることを憶えてアウトプットすればそれでOKではありません。
■小中高が画一的な授業になる理由
特に高校ではその先の大学受験が大目標として存在します。
そのためにすべき勉強というのは、東大や早慶のように人気のトップ大学が一極集中し、同じ試験を受けたものとで競争する関係上、どうしても同じ内容でなければなりません。
逆に全く違う内容を勉強しているのであれば、正しい努力をしているのか不安が生まれます。
もちろん、小学校や中学校も、学校によって行われる授業内容に大差はありません。
義務教育では全国一律水準の確保という文部科学省による要請があります。
そのため、やはり学習指導要領に準拠した授業が行われます。
・中学受験者は独自に塾で対策する
公立の場合、小学校から近くの中学へ行く人がほとんどです。
なかには中学受験をする人もいます。
この場合は、塾に通って学校で行われる授業よりもレベルの高い、それこそ中学生の学習内容を先取りした勉強をしているケースがほとんどです。
小学校で行われる授業を完璧に理解しても、人気の私立中学、たとえば御三家の灘中や開成中、筑駒中の受験の場合、太刀打ちできないためです(※)。
※参考:灘中・開成中・筑駒中 受験生が必ず解いておくべき算数101問
・公立高校入試は共通
中学では、公立の高校へ進学する人が多いです。
公立高校入試は、ご存知の通り北海道を始め東京でも大阪でも、各自治体ごとに共通の問題が出ます。
北海道では一部裁量問題があり、各高校で違いがありましたが、これも廃止されます。
公立高校入試の場合、生徒は学校で行われる授業をちゃんと理解して教科書を勉強をするのが基本の対策です。
共通の目標に向かっていますから、やはり授業内容はどこの学校でも共通したものになります。
・大学では皆が院進するわけではない
大学では、確かに大学院へ進学するため勉強をする人がいますが、高校のようなほとんどの人が受ける大学入試、中学のような高校入試とはわけが違います。
そのため、大学は自由に授業内容を設定しやすい条件が備わっています。
拘束時間
大学では、時間的にも自由度が高くなります。
各学部で卒業要件単位や進級要件が定められています。
とはいえ、大学や学部にもよりますが基本的にはそう厳しいものではありません。
■大学は夏休みも春休みも2ヶ月以上
たとえば、小中高では夏休みが長くて、7月下旬から9月初めまでが一般的です。
大学はというと、夏休みの始まりはほぼ同じですが、9月終わり~10月初めまでは授業がありません。
そのため、2ヶ月以上の夏休みがあります。
春休みも同様です。
たとえば札幌南高校の例でいうと、平成31年度は3月25日から4月7日までが春休みでした(※)。
2週間程度しかありません。
早稲田大学では、2月5日から始まって4月の授業開始までが春休みです(※)。
■大学は授業期間も週休3日
授業がある日でも、高校生とは時間自由度がかけ離れています。
早稲田の文化構想学部2年生の習慣スケジュールを参考にみてみます(※)。
日…休み
月…2限のみ
火…3、4、6限
水…休み
木…2、3、4、5限
金…2、3、4限
土…休み
このようになっています。
小中高生からしてみたら、随分と楽な時間割だな、と感じたはずです。
まず、週に3日も休みがあります。
さらに月曜は1つの授業しかありません。
大学は自分が動かないと始まらない
以上のように、大学は時間割の自主作成から出欠の取り方、授業内容、さらに時間的に見ても極めて自由度が高いのが特徴です。
自分で動かないと、どんな道も開けません。
ただ漫然と与えられた授業を受けて、勧誘されるままに部活に入るだけでなんとかなる高校とは異なります。
受身だと思わぬリスクが発生する
大学は、部活、サークル、ゼミともに選択肢が豊富にあります。
サークルでは健全なものが多いですが、なかにはテニスサークルといいながら飲み会ばかりしているものや、事件を起こすような危ないところまであります。
勧誘されるままに自分の意思なく入って、お酒を飲まされて取り返しのつかないことになっては、せっかくの大学生活に影を落とします。
特に女の子は熱心に勧誘された後に飲まされて嫌な目に遭う、という例がよく聞かれます。
自己防衛のためにも自分の意思で選ぶことが大切です。
大学生は大人なので全て自己責任
大学生と小中高生の違いとして、子どもか大人かの違いがあります。
大学2年生になると、20歳を迎えて法的にも社会的にも大人とみなされます。
これまでは未成年として許されていたことも、全て自己責任として誰のせいにもできません。
先の例でいえば、言われるがままに飲み会に参加して、その場の雰囲気に圧されて言いように飲まされるほうにも非があるとみなされます。
確かに無理に飲まそうとするほうが悪いですが、従うほうにも責任があると評価されるわけです。
ただ動けば良いわけでもない
大学の自由な世界観のなかで、何をするかは自分次第です。
動かなければ何も手に入らず、逆に動けばなんでも良いというわけでもありません。
勉強だけする大学生活では味気なく、かといって遊んでいるだけではただ無駄な4年間になってしまいます。
大人だからこそ自由が与えられ、だからこそ誰の責任にもできません。
自ら責任を持ち、どういう時間の過ごし方をするかで、大学生活がその後の人生にとって良い時間になるか、黒い歴史になるかが決まります。
将来の目標から逆算して動く
リスクを減らすためには、早い段階で目標を設定することです。
目標は、大学で何をするかではなく、卒業後にどうなりたいか、です。
たとえば、高校の先生になりたいのであれば、教職課程を履修する必要があります。
さらに空いた時間には、塾講師や家庭教師、母校の部活指導など、将来に照らして有意義だと思えるバイトやボランティアをするのが良いと判断できます。
このように、将来の目標を早めに設定しておくことで、逆算的に今何をしたら良いのかが分かります。
せっかく時間があるのに何をしたら良いのか分からない、というリスクから解放されます。
大学では同志がみつかりやすい
大学というのは良いところで、小中高よりも大規模になり世界が一気に開けます。
非常にたくさんのタイプの人がいて、自分が目標を決めて動き出すと、同じ目標を持っている同志がみつかります。
一緒に切磋琢磨したり、協力したりできます。
えてして同じ志を持つ人は価値観も似ていて、一生付き合える友人になりえます。
高校では、どうしても同じクラスの人や同じ部活の人と仲良くならなければならない側面があります。
大学では、人間関係について取捨選択が可能になります。
本当に自分が一緒にいたい人といれば良い、という性格が100%ではないにしてもかなり高いレベルで求められます。
■大学は人生のなかでも広い世界
社会に出ると、職業にもよりますが、再び狭い世界になる可能性があります。
毎日同じ会社の同じ部署のメンバーと顔を合わせて、大半の時間を過ごします。
社会に出てからは、本当の友人が見つかりにくい、といわれるのはそのためです。
高校ではいじめに悩んでいたり、スクールカーストが気持ち悪かったり、という人がよくいます。
こういった人も、大学に入って世界の広がりに喜びを覚えることができます。
高校のときはとても小さな箱の小さな世界に過ぎず、大学では自分の自由に時間の過ごし方を考えられて、好きな授業を取れて、たくさんの人のなかから魅力を感じる人とだけ付き合えます。
もちろん、それは可能性で、ただ待っているだけでは充実した生活は送れません。
だからこそ、将来の目標に照らして、それに即した授業を取ったり、ゼミやサークルに入ったり、バイトをしたりして、前向きな良い人間と出会う必要があります。
小中高大の違いについてまとめ
小中高では、クラス制や指導要綱、入試などの関係で、どの学校、先生でも授業内容に大きな差はありません。
しかし大学になると、一気に世界が広がり、時間割の作成から、そもそも授業に出るかどうかまで、自分の選択に委ねられます。
強制されることがなく自由な反面、全て自己責任という怖さもあります。
大学は4年と長く、そこでの時間の過ごし方が社会に出てから大きな影響を及ぼします。
自分の目標に照らして能動的に時間を使うことが大切です。
この記事を監修した人
「大成会」代表
池端 祐次
2013年「合同会社大成会」を設立し、代表を務める。学習塾の運営、教育コンサルティングを主な事業内容とし、札幌市区のチーム個別指導塾「大成会」を運営する。「完璧にできなくても、ただ成りたいものに成れるだけの勉強はできて欲しい。」をモットーに、これまで数多くの生徒さんを志望校の合格へと導いてきた。