大学は、最高学府と呼ばれています。
学府とは学ぶ場所のことですので、大学は学校の頂点ということができます。
人生の最初の学校を幼稚園とすると、その次に小学校、中学校、高校、専門学校、高等専門学校(以下、高専)、短大などがあり、その上に大学が君臨するわけです。
そのため、「大学の仕組みとは?」と尋ねられたら「その他の学校と同じで、学問を教える先生がいて、それを教わる子供がいる」と答えることができます。
しかし、「大学はその他の学校とまったく同じなのか」という問いには、「その他の学校とはずいぶん違う」という答えになるでしょう。
例えば、大学の先生は、教授や准教授などと呼ばれます。
小中高には、教授はいません。
また、大学は学部というグループにわかれて勉強します。
さらに、大学での授業には、ゼミという特殊な形態があります。
大学の仕組みを徹底解説します。
大学の法律的な位置づけとは
最初に、大学の法律的な位置づけについて解説します。
これは、この記事のなかで最も退屈な内容になると思いますが、とても重要です。
大学の法律的な位置づけこそが「大学の仕組み」を説明しているからです。
少し我慢をして読み進めてください。
学校教育法における大学
日本の学校の在り方については、学校教育法に書かれてあります。
大学については、学校教育法第83条に次のように書かれてあります。
学校教育法第83条
第1項:大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。
第2項:大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする
この法律のエッセンスを抜き出すと、次のようになります。
- 大学は学術(=学問)の中心である
- 大学では、先生が学生に、広い知識を与える
- 大学では、先生が学生に、専門のことを教え授ける
- 大学では、先生や学生が、専門のことを研究する
- 大学には、知的能力、道徳的能力、応用的能力を得るために通う
- 大学では、教育を行う
- 大学では、研究を行う
- 大学は、教育・研究の成果を社会に提供しなければならない
- 大学は、社会の発展に寄与しなければならない
ちなみに「教授」には、「先生が学生に教え授ける」という意味と、「大学の先生の役職名」という意味があります。
学校教育法第83条の教授は、前者の意味です。
以上のことから、大学には、「しなければならないこと」がたくさんあることがわかります。
例えば中学校の「しなければならないこと」はとてもシンプルです。
学校教育法第45条には中学校について書かれていますが、そこには「中学校は、小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、義務教育として行われる普通教育を施すことを目的とする」とあるだけです。
中学での勉強は、基本的には、教師が教科書に沿って授業を展開し、生徒たちはそれを座って黙って聴いているだけです。
法律的にも、大学は「その他の学校とはずいぶん違う」といえるわけです。
大学には学部があって4年または6年学ぶ
教育基本法第85条には、大学は学部を置かなければならないと書かれています。
これはとても重要なので、あとで詳しく解説します。
そして教育基本法第87条には、大学は原則、4年制にすると書いてあります。
ただし、医学部、歯学部、薬学部、獣医学部は6年制とする、とも書かれてあります。
ちなみに、医師、歯科医師、薬剤師、獣医師の資格を取得するための国家試験を受けるには、それぞれの学部を卒業しなければなりません。
大学の医学部、歯学部、薬学部、獣医学部で6年間学び、卒業して、国家試験に合格しないと、医師、歯科医師、薬剤師、獣医師になることはできません。
教授とはなんなのか
大学の先生は、教授や准教授、講師、助教などと呼ばれています。
短大や高専にも、教授たちがいます。
では、教授たちは、小中高の教諭とは何が違うのでしょうか。
大学設置基準第14条は、教授を次のように定めています。
大学設置基準第14条
教授となることのできる者は、次の各号のいずれかに該当し、かつ、大学における教育を担当するにふさわしい教育上の能力を有すると認められる者とする。
一 博士の学位を有し、研究上の業績を有する者
二 研究上の業績が前号の者に準ずると認められる者
三 学位規則第五条の二に規定する専門職学位を有し、当該専門職学位の専攻分野に関する実務上の業績を有する者
四 大学または専門職大学において教授、准教授または専任の講師の経歴のある者
五 芸術、体育などについては、特殊な技能に秀でていると認められる者
六 専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者
大学設置基準第14条でポイントになるのは、「博士であり研究上の業績を有する者」「特殊な技能に秀でている者」「特に優れた知識及び経験を有する者」です。
博士は学位のなかで最高位のものです。
学位とは、学問を修めた証(あかし)となる称号のことです。
「博士であり研究上の業績を有する者」や「特に優れた知識及び経験を有する者」を、かなり砕けた表現に変換すると「めちゃめちゃ賢い人」となります。
そして、「特殊な技能に秀でている者」を変換すると「めちゃめちゃすごい人」となります。
大学教授には、めちゃめちゃ賢い人かめちゃめちゃすごい人しか、なることができません。
これは「当然のこと」といえるでしょう。
なぜなら、小学校や中学校や高校の教諭になるには、大学を卒業しなければならないからです。
医師や歯科医師、官僚やエリートビジネスパーソンにも、大学を卒業しなければ、なることができません。
つまり教授は、将来、教諭や医師などの「人に教えることになる人」に学問を教えなければならないのです。
教諭や医師などが「賢くてすごい人」であれば、その人たちを教育する教授は「めちゃめちゃ賢くてすごい人」でなければなりません。
大学の先生には、教授の他に、准教授、講師、助教がいます。
この人たちは、先生でありながら、教授の「部下」という位置づけになります。
また、この人たちも、独自に研究をしています。
助教が優秀な研究結果を残せば講師になることができ、次に准教授になり、そしてトップの教授に就くことができます。
先生に「格がついている」仕組みも、大学ならではです。
小中高では、校長と教頭以外は、ベテランの先生も新人の先生も、どちらも「教諭」であり、教諭のなかで上下はありません。
学部とは、研究室とは、なんなのか
大学には、学部や研究室があります。
学部や研究室は、学問の領域ごとにわかれています。
このように説明すると、例えば中学や高校も、「英語の先生」「数学の先生」「理科の先生」といったように、学問の領域ごとにわかれています。
では「学部や研究室」と「英語や数学や理科など」は何が違うのでしょうか。
大学には「英語」も「数学」もない?
中学や高校の「英語や数学や理科など」は「科目」です。
科目とは、日本のみならず世界中の学問の専門家たちが「正しいこと」と認めた内容のうち、子供たちに教えたほうがよいと考えたものです。
科目に盛り込む内容は、日本であれば文部科学省が専門家たちの意見を聴きながら決めています。
つまり、中学や高校の科目は、「教えることと、答え」が決まっています。
もちろん、大学の学部でも、教授たちは大学生に「教えることと、答えが決まっているもの」を教えます。
しかしそれは基礎知識を身につけるための学びであって、大学の本来の目的ではありません。
学部で本来すべきことは、最先端の学問を身につけることと、これまでになかった学問をつくりあげることです。
学部には、法学部、経済学部、文学部、教育学部、理学部、工学部などがあります。
このとおり、学部には「英語も数学も理科」もありません。
ただ、文学部には「英語学科」や「日本史学科」があり、理学部には「数学科」や「物理学科」があり、法学部には「社会学科」や「政治学科」があります。
このことから、中学や高校で習う「英語、日本史、数学、物理、社会、政治」などは、学部の一領域であることがわかります。
「大学の学部としての法学部、経済学部、文学部、教育学部、理学部、工学部など」は「中学や高校の科目としての英語、日本史、数学、物理、社会、政治など」より、広い学問領域であることが理解できると思います。
そしてもうひとつ「大学の学部」と「中学と高校の科目」の違いがあります。
それは、大学の仕組みについて定めた、学校教育法第83条の「(大学での)成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする」という部分です。
中学生や高校生は、学校で科目を習って、自分の知識を増やすだけでよいのですが、しかし大学生は、学部で習ったことを社会に提供しなければなりません。
大学を卒業した人は、大学で得た知識を、社会の発展に使わなければならないのです。
もちろん、中学を卒業して社会に出た人も、高卒の人も、社会の発展に貢献しなければならないのは、大卒者と同じです。
しかし、大卒者は法律で「大学で得た知識を使って社会に貢献せよ」と定められています。
だから大学生は、大学の講義から、社会貢献に必要な知識を吸収しなければなりません。
研究室とは教授の部屋?
大学の学部には、いくつもの研究室があります。
原則、教授の人数分、研究室があります。
研究室には2つの意味があり、ひとつ目は「教授の職場、教授の部屋」という意味です。
ふたつ目は「教授をはじめとする教職員たちと学生たちが学び研究する場所」という意味です。
例えば、北大法学部には、憲法を教える教授、刑法を教える教授、民法を教える教授などがいます。
それぞれの教授が、研究室を持っています。
ただ、法学部の場合、研究や勉強といっても、本とペンとノートと頭脳があればどこでもできるので、学生たちが研究室に集まって何かすることはあまりありません。
したがって、法学部などの文系の研究室は「教授の部屋」といってもよいでしょう。
北大工学部には応用理工系学科、情報エレクトロニクス学科、機械知能工学科などがあります。
そして、例えば応用理工系学科には、応用物理工学コース、応用化学コース、応用マテリアル工学コースにわかれています。
その他の学科にも、それぞれ複数のコースがあります。
コースには、教授や准教授がいて、それぞれが研究室を持っています。
工学部の研究室では実験をしなければならないので、かなり広い部屋になります。
そして、学生たちも実験をするので、工学部など理系の研究室は「教授をはじめとする教職員と学生たちが学び研究する場所」になります。
単位とはなんなのか
大学は単位制です。
それぞれの大学は、卒業に必要な単位数を決めています。
学生たちは講義に出席して、教授たちの講義を聴き、期末のテストに合格すると、単位を取得することができます。
このようにコツコツ単位を貯めていき、4年間で卒業に必要な単位数を取得できれば、無事、卒業できます。
実は高校も単位制なのですが、多くの高校生は「単位」を意識しないと思います。
高校を卒業した人のなかには、「高校で単位を取ったことがない。中学校と同じように授業を聴いて、試験を受けただけ」と思っている人もいるでしょう。
それは勘違いなのですが、勘違いするのには理由があります。
高校では原則、すべての生徒が同じ授業を受けています。
高校にも、少しは選択授業があるので、同じクラスの生徒がわかれて授業を受けることがありますが、それは例外です。
そのため高校では、留年しそうにならないと、単位はほとんど意識されません。
しかし大学は違います。
大学側は大学生に、すべて受講することができないほどたくさんの選択肢(講義)を提示します。
大学生は、自分で講義を選んで、講義に出席します。
講義の選び方によっては、同じ学部の同学年の大学生どうしでも、ほとんど大学内で会わないこともあります。
中学や高校の授業は、学校側から「これを学びなさい」と指示されるイメージです。
大学の講義は、大学生が主体的に「これとこれを学ぶ」というイメージです。
そして、卒業に必要な単位数に達するまで、講義を選ばなければなりません。
それで大学生たちは、強く単位を意識するようになるのです。
ゼミは普通の講義とどう違うのか
大学の講義は、小中高の授業とはかなり違います。
大学の講義の教科書は、教授ごとに異なります。
大学生は、教授が指定する本を本屋で買って、講義に出席します。
小中高の教科書は、文部科学省が指定した本のなかから、学校が選びます。
ただ、大学の講義も小中高の授業も、先生が教壇に立ち、黒板とチョークを使いながら、大人数の児童・生徒・学生に学問を教える、という点では同じです。
児童・生徒・学生は、椅子に座って先生の話を聴いているだけです。
時折、先生が児童・生徒・学生に質問しますが、これも小中高と大学で変わりありません。
ただ大学には、小中高にはない、ゼミナール(以下、ゼミ)があります。
理系学部では「ゼミ」という言葉は使わず「研究室に入る」と言うことがありますが、両者はほとんど同じ意味です。
ゼミの特徴は、
- 大学生が数人~20人程度と少人数
- 大学生は自分たちで考えなければならない
の2つです。
なぜ少人数なのか
教授1人に対して、学生2人というゼミもあります。
ゼミを少人数制にしているのは、大学生に、徹底的に学問に向き合わせるためです。
教授が大学生に徹底的に学問を教えるには、数人でも十分なくらいです。
20人は多いくらいです。
大学生が「自分で考える」とは
ゼミでは、教授がゼミ生(ゼミに参加する大学生のこと)に課題を出し、ゼミ生はその課題について調べたり、考えたり、聞き取りをしたり、実験したりします。
調査、考察、聞き取り、実験をしたゼミ生は、ゼミの時間に教授や他の大学生に、その内容を発表します。
ゼミは研究室や会議室などで行なわれます。
その発表内容について、教授とゼミ生が一緒に考えます。
もちろん、ゼミ生の調査、考察、聞き取り、実験は、詰めが「甘い」ことがあるので、そのときは教授が助け舟を出します。
そして、教授はときに、大学生に「調査が足りない」「本の読み込みが甘い」「考察が浅い」「聞き取る相手を間違っている」「その実験方法では正しさを証明できない」と指摘します。
最近はアカハラ(アカデミックなハラスメント)が問題になっているので、教授が学生たちを叱責することは、なくなったか、少なくなっています。
しかし、教授は、学問上の「突っ込み」の手を緩めていないはずです。
これが、「徹底的に学問を教えること」になります。
ゼミでの勉強こそ、「本物の学問に触れること」であり、大学に進学する大きな意義になります。
ちなみにアカデミックとは「学問的な」という意味で、大学などの研究機関のことを指します。
ゼミと卒業論文の関係
ゼミでの勉強は、大学での学びのハイライトになります。
卒業論文は、ゼミのテーマに沿って書くことになります。
ゼミで学びながら、卒業論文の内容を深めていきます。
卒業論文とは、ゼミや研究室の教授に提出する論文のことです。
教授がその論文に「合格」を出さないと、ゼミの単位は取得できません。
ゼミの単位は必須になっていて、他の講義の単位で代替することはできません。
つまり、その他の講義の単位はすべてそろっているのに、卒業論文が「不合格」だったために卒業できない、という事態が起きます。
研究は勉強ではないのか
大学生は、勉強だけでなく、研究もします。
研究と勉強は、どちらも「知識を得ること」であり、俗な表現を使えば「賢くなるためにすること」です。
ただこの両者には、次のような、大きな違いがあります。
研究:正しいかどうか判明していない知識や、知られていない知識や、あるかどうかわからない知識を、確固たる知識にする取り組み。
勉強:確固たる知識を、自分のなかに取り入れる取り組み。研究をするための準備。
研究には、新たな知をつくり出す、という大きな目的があります。
大学生は4年間、または6年間大学に通います。
前半の2年間は、勉強がメインになるでしょう。
そして後半の2年間は、研究をメインにしたいものです。
大学院、学士、修士、博士とはなんなのか
小中高と大学の大きな違いに、大学院や学位の存在があります。
小中高は、それぞれを卒業すれば、それぞれの学校での学びは終了します。
例えば、中学校を卒業すれば、高校に入学しなければ、学びは終了します。
大学にも卒業はありますが、大学を卒業したあとに、大学院に進学する人もいます。
大学院は、大学のなかにあります。
例えば、北大には法学や医学部などの学部がありますが、実は正式名称は次のようになっています。
いわゆる「北大法学部」の正式名称:北海道大学法学部/法学研究科/法科大学院
いわゆる「北大工学部」の正式名称:北海道大学医学部医学科/大学院医学院/大学院医理工学院/大学院医学研究院
正式名称に「大学院」と入っています。
大学院は、学部での研究より深い研究をする場所です。
学部での「研究と勉強」の割合が「5対5」だとしたら、大学院では「9対1」くらい研究に特化します。
また、教授が大学院生たちに出す課題は、格段に難しくなっています。
大学院にも入試があり、それに合格しなければなりません。
大学院で学ぶ期間は2年で、最終的に「修士論文」という、卒業論文のような論文を書き、担当の教授から「合格」をもらえば卒業になります。
大学院にはさらに「博士課程」というコースがあり、ここで3年ほど研究したあと、最終的に「博士論文」を書き、「合格」すれば卒業できます。
学部を卒業すると、大学生は「学士」という学位を取得することができます。
学位とは、学業を修めた人に与えられる称号です。
修士論文が合格して大学院を卒業すると、今度は「修士」という学位が授与されます。
博士論文が合格して博士課程を卒業すると、「博士」がもらえ、これが最高学位です。
博士は、大学・大学院での学問を究めた人といえます。
「その道」のことを何でも知っている人でもあります。
博士になってからも、もちろんいろいろな人から教わることがあると思いますが、学校制度上は、博士を教える人はいません。
まとめ~職業訓練校のような大学もある
この記事では、極力「本来の大学の姿」を紹介しました。
本物の学問に触れたい人が学ぶ場所としての大学を解説しました。
北海道内では、北大は「本来の大学の姿」をしているといえるでしょう。
ただ、大学のなかには、あえて「実社会であまり役に立たない理想の学問」から遠ざかり、大学生たちに企業や役所で役立つ人材育成に力を入れるところもあります。
北海道内では、小樽商大は明確に、企業人を育成しようとしています。
小樽商大の公式ホームページには「世界と地域をつなぐビジネスパーソンへ」「日本トップクラスのマーケティング研究機関」といったキャッチコピーが並びます。
それらの言葉には、日本経済の発展に貢献する人材を育成しようとする意図が色濃く表われています。
小樽商大のような大学があるのは、世の中が大学に、職業人の育成を求めているからです。
北大も小樽商大も、その他の大学も「大学」である以上、根本の仕組みは同じですが、運営方法は大学によってかなり異なります。
大学選びでは、その点にも注目してみてください。
小樽商大は「ビジネスパーソン」養成に力を入れています。
この記事を監修した人
「大成会」代表
池端 祐次
2013年「合同会社大成会」を設立し、代表を務める。学習塾の運営、教育コンサルティングを主な事業内容とし、札幌市区のチーム個別指導塾「大成会」を運営する。「完璧にできなくても、ただ成りたいものに成れるだけの勉強はできて欲しい。」をモットーに、これまで数多くの生徒さんを志望校の合格へと導いてきた。