2021年1月から始まる大学入学共通テスト(以下、共通テスト)では、英語の試験に、英検やTOEFLといった英語民間試験を使う予定でした。
ところが2019年11月、文部科学大臣が突如「英語民間試験の共通テスト利用を見送る」と発表しました。
なにがあったのでしょうか。
起きるはずがないことが起きた
高校生のなかには、英語民間試験対策に乗り出していた人もいたと思います。
「なぜ今更方針転換するのか」と戸惑っている人も少なくないでしょう。
共通テストは、大学進学に多大な影響を与える重要な試験です。
進学する大学によって就職先が変わることがあるので、共通テストは受験生たちの人生に影響を与えるといっても過言ではありません。
また、文部科学省は国の重要機関であり、制度や法律の専門家集団です。
官僚と呼ばれる人たちはとても優秀です。
しかも、教育の専門家たちも交えて長年検討を重ねてきた末に、英語民間試験の導入を決めました。
例えば、「大学入学共通テスト検討・準備グループ 」は、大谷大学文学部教授、独立行政法人大学改革支援・学位授与機構顧問、早稲田大学文学学術院教授、京都大学監事、大阪大学名誉教授といった役職の人たちで構成されています。
つまり今回のドタバタ劇は、起きるはずがないのに起きたのです。
英語民間試験の「どこが」問題だったのでしょうか。
そして、そもそも「なぜ」英語民間試験を共通テストに導入しようとしたのでしょうか。
さらに、大学入試にとって望ましい英語試験とは「どのような」ものなのでしょうか。
このトラブルを教材にして、大学受験と英語について考えてみましょう。
英語民間試験の「どこが」問題だったのか
英語民間試験の「どこが」、共通テストに不向きだったのでしょうか。
文部科学省の有能な官僚と教育のプロが、一度は「英語民間試験はとてもよい」と判断したのに、なぜだめだったのでしょうか。
格差と公平性への懸念
文部科学大臣は2019年11月1日に記者会見を開き、英語民間試験の導入見送りを発表しました。
そのとき語られた見送り理由は次のとおりです。
A:居住地や家庭の経済状況による受験機会の格差や公平性への懸念が消えない
B:受験生の理解を得るのが難しい
C:自信をもってすすめられるシステムになっていない
D:文部科学省と民間試験団体との連携が十分でなかった
E:準備が遅れた
F:試験会場の確保を民間任せにしてしまった
B、C、D、E、Fの理由はとても「お粗末」な印象を受けるのではないでしょうか。
ただ、最も大きな問題はAでした。
受験生が住んでいる場所(居住地)や受験生の家庭の経済状況によって、格差や不公平が生まれる、というわけです。
共通テストとしては「致命的」でしょう。
それではなぜ、英語民間試験は格差や不公平を生むのでしょうか。
「根室で受験できない」「1回25,000円以上も」
共通テストを実施する独立行政法人大学入試センターが利用しようとしていた英語民間試験とは、次のとおりです。
( )は英語民間試験の主催者です。
- ケンブリッジ英語検定(ケンブリッジ大学英語検定機構)
- TOEFL iBTテスト(Educational Testing Service)
- IELTS(IDP:IELTS Australia)
- GTEC(株式会社ベネッセコーポレーション)
- 実用英語技能検定(英検)(公益財団法人日本英語検定協会)
- IELTS(ブリティッシュ・カウンシル)
ちなみにTOEIC(国際ビジネスコミュニケーション協会)は2019年7月の段階で、共通テストに参加しないと表明していました。
あまり知名度がない検定もありますが、TOEFLや英検は「英語検定といえばこれ」といえるほど、有名な検定です。
こうした英語検定までもが「居住地や家庭の経済状況による受験機会の格差や公平性への懸念」を生むのはなぜでしょうか。
その答えは、次の2点です。
- 地方では受験できない検定があり、地方の受験生は都心部にまで出向かなければならない
- 受験料が高い
例えば、北海道内でTOEFLを受けられるのは札幌だけです。
根室の受験生も稚内の受験生も、TOEFLで共通テストを受けようと思ったら、札幌まで出向かなければなりません。
また、受験料が1回25,000円にもなる英語民間試験もあります。
民間任せがこの事態を招いた?
先ほどTOEICは、文部科学省が英語民間試験の導入を見送る前に辞退を表明した、と紹介しましたが、それは文部科学省の要望に応えられないと判断したからと考えられています。
TOEICは、リスニングとリーディングとスピーキングとライティングの試験を2日間で行います。
受験料は税込5,830円で、2020年4月から6,490円に値上げする予定です。
そこで共通テストを実施する大学入試センターはTOEIC側に対して、試験を1日で実施することや、経済的・社会的弱者への受験料の値引きや、試験会場を全国に設置することを求めていました。
つまり元々英語民間試験は、「格差や公平性の懸念」がある試験なのです。
しかしそれ自体は問題になりません。
なぜなら英語民間試験は、必要でない人は受験する必要がないからです。
しかし英語民間試験を共通テストに使うとなると話は別です。
共通テストで使うのであれば「格差や公平性の懸念」のないものでなければなりません。
文部科学省や大学入試センターは、英語民間試験の主催者に「格差や公平性の懸念」を解消するよう求めていたのです。
その求めには無理がありました。
TOEICが辞退したのはもっともなことです。
例えば、全国高等学校長協会は2019年9月に、文部科学省に英語民間試験の導入延期を要請していました。
高校の校長たちがNGを出したということは、「自分たちの生徒に胸を張っておすすめできない」と表明したようなものです。
共通テストへの採用は、それくらいハードルが高いものなのです。
そもそも「なぜ」英語民間試験を使おうとしたのか
ここまでの解説を読むと、「文部科学省はなぜ、そもそも共通テストに英語民間試験を使おうと考えたのか」と感じるのではないでしょうか。
実は、その点を考察すると、文部科学省が英語民間試験を活用とした意図自体は悪いものとはいえないことがわかります。
英語を母国語としない日本人が英語を使いこなすには、聴くこと(リスニング)と読むこと(リーディング)と話すこと(スピーキング)と書くこと(ライティング)の4つの能力が必要になります。
しかし、日本の高校生の英語能力を「CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)A2レベル以上」という基準で測定したところ、次のような結果になりました(※)。
・聴くこと33.6%
・読むこと33.5%
・話すこと12.9%
・書くこと19.7%
話す能力と書く能力が著しく低いことがわかります。
そして、これは、センター試験で話す能力と書く能力が問われていないことと一致します。
センター試験ではリスニングとリーディングの能力しか計測していません。
それで、英語民間試験が必要だったのです。
英語民間試験は、4つの能力を測定しています。
しかも、英語民間試験に合格したり高得点をあげたりしている人は、英語を使って活躍しています。
英語民間試験には、実績もあるわけです。
文部科学省と大学入試センターが、いちから4能力を計測する英語試験をつくるより、英語民間試験を活用したほうが合理的である、と考えたのは理にかなっていないわけではありませんでした。
望ましい英語試験とは「どのような」ものなのか
今回はさまざまな不手際や見込み違いがあり、英語民間試験の、共通テストへの導入が見送られましたが、日本人の英語を話す能力と書く能力の向上は、喫緊の課題です。
日本経済は、グローバル化することで世界と伍していこうとしています。
グローバル化には英語でのコミュニケーションが欠かせず、そのためには未来の日本経済を担う受験生たちも、英語の4能力をすべて持っていなければなりません。
英語の4能力を向上させるには、大学入試で4能力の試験を課し、受験生に学習モチベーションを持たせる必要があります。
では、望ましい英語試験とは、どのようなものなのでしょうか。
政府には「教育再生実行会議」という組織があります。
ここで「高大接続」が検討されています。
高大接続とは、高校までの教育と大学入試と大学教育を「一体で捉えよう」という考え方です。
なぜ高大接続が必要なのかというと、大学入試が高校教育に多大な影響を与えるからです。
高校生たちは「大学入試に合格する勉強を受けたい」と考えますし、高校の教師たちも「大学合格に寄与する勉強を教えたい」と考えます。
これでは、高校が大学入試のための教育機関になってしまいます。
教育再生実行会議でも次のような意見が出ています。
何のために生き、何のために勉強し、何のために学校に行くのか、ということを考え、志を立ててやっていくことが一番大事。
こうしたことが大学入試の選考の中にないと、どうしても知識や学力を中心に1点刻みで評価されるものになる。
今の入試は、ある意味公平であろうが、学力だけで推し測ることが、いかに子どもたちの生きる力、やる気を減退させているか考える必要がある。
英語の能力は「生きる力」になります。
英語のスキルを持っていると、仕事の幅が広がり、外国人とコミュニケーションが取れるようになるからです。
しかし、英語試験を含む大学入試が子供たちの「やる気を減退させている」のであれば、変えなければならないでしょう。
望ましい英語試験をつくるには、現行の大学入試のような「一発勝負」だけでなく、高校での評価で決める方法や、学力の到達度を反映する形などを検討する必要があります。
しかし共通テストは、多くの大学が使い、多くの受験生が受けます。
国公立大の2次試験のように「うちの大学に相応しい受験生だけを選考する」試験とは、性質がまったく異なります。
共通テストは、多くの大学と多くの受験生が納得するものでなければなりません。
その試験を開発することは簡単ではありません。
しかも英語は4つの能力を判定しなければならず、共通テストのなかでも最も開発が難しい試験です。
「望ましい姿」はみえていても、みんなが納得できる英語試験を開発することは難事業といってよいでしょう。
まとめ~あわてず急いで
大学入試については、もう何十年も議論されてきました。
しかし今回のごたごたは、高校生を巻き込む、極めて「まずい」トラブルといえるでしょう。
しかも英語民間試験を共通テストに活用することについては、しかるべき人たちが明確に反対してきました。
その批判の声に耳を貸さなかった点も問題があります。
大学入試改革は急がなければなりませんが、あわててはいけません。
当然といえば当然すぎる指摘ですが、今回の件はそのように指摘せざるを得ない事態といえるでしょう。
この記事を監修した人
「大成会」代表
池端 祐次
2013年「合同会社大成会」を設立し、代表を務める。学習塾の運営、教育コンサルティングを主な事業内容とし、札幌市区のチーム個別指導塾「大成会」を運営する。「完璧にできなくても、ただ成りたいものに成れるだけの勉強はできて欲しい。」をモットーに、これまで数多くの生徒さんを志望校の合格へと導いてきた。