中学生や高校生ぐらいになると、得意科目と不得意科目が出てきます。
例えば、英語は学年でトップクラスなのに、数学は下位グループに沈んでいるという生徒もいるでしょう。
多くの子供たちは、科目ごとに成績に差が生じるのは「自分には得意科目の才能があって、不得意科目の才能がないからだ」と感じているはずですが、その見解は30%ぐらい正しく70%ぐらい間違っています。
先生の教え方が上手いと、子供はその教科を好きになり、勉強をするようになり、成績が上がります。
逆に、先生の授業が退屈だと、子供はその教科を嫌いになり、勉強をしなくなり、成績が上がりません。
子供自身の資質より、教師との出会いや教科への興味の強さのほうが成績を左右するでしょう。
この現象は、学校でも塾でも予備校でも家庭教師でも起こり得ます。
今回のコラムでは、教え方が上手な先生と、教え方が下手な先生の違いを解説します。
その教科を愛しているか
教え方が上手な先生は、自分が担当している教科を愛しています。
学問への愛が強いと、先生になってからも研究したり調べたりします。
その結果、新しい知識を獲得できるので、授業が新鮮です。
そして自分の教科を愛している先生は「この学問の素晴らしさを子供たちに知らせたい」と考えます。
教科愛が強い先生は、あたかも素晴らしい映画をみて感動して「絶対にあの映画はみたほうがいいよ」と周囲の人たちに教えるように授業をします。
数学愛の強い先生
数学が嫌いな生徒は、数学教師を困らせようと「先生、数学は実生活で役に立つんですか」と質問します。
数学愛が弱い数学教師はこのとき「数学は実生活で役に立たないかもしれないが、数学を克服しないと理系学部に進学できない」と答えるでしょう。
このような先生から数学を教わっても、面白いわけがありません。
では数学愛が強い先生が、「数学は役に立つのか」と聞かれたらなんと答えるでしょうか。
恐らく次のように答えるでしょう。
- 数学はすべての自然科学のベースとなる
- 数学を進歩させないと科学技術は進歩しない
- 経済ですら数学で説明できる
- 数学は芸術だ。数字の美しさを知れば、役に立つかどうかなんて問題なくなる
- 数学はかつて哲学だったんだ
数学愛が強い先生でも、多くの人が数学を苦手にしていることを知っています。
そのような先生は、数学の授業にエンターテインメントの要素を盛り込むでしょう。
数学を扱った小説や映画は多数存在します。
「エンタメ数学」の授業が面白くないわけがありません。
英語愛の強い先生
日本人にとっての英語は2種類あります。
受験英語と本物の英語です。
本物の英語をベースとしながらも、大学入試や高校入試で問われそうな項目を効率よく教えたり学んだりする英語です。
受験英語のテクニックと呼ばれるように、受験英語は技術を修得するように勉強します。
文法や発音、つづりは超正確に覚えなければなりません。
ネイティブたち(アメリカやイギリスなどの英語圏の人たち)と会話をしたり、英語でビジネスをしたり、留学したりしたときに使う英語です。
そして本物の英語は、コミュニケーションを深めるための言語ですので、正確さより通じることが優先されます。
多少文法が間違っていても、発音が崩れていても問題ありません。
ネイティブたちが話す英語が、「日本人の受験用の英文法の参考書」に書かれてあるルールから逸脱していることは珍しくありません。
英語愛が強い先生は、受験英語も本物の英語も得意です。
そのため、受験英語の授業にライブ感が生まれ、生徒たちは飽きません。
また英語愛が強すぎて、過去にアメリカやイギリスへ留学している先生もいます。
そういった先生からは本場の英語を教わることができるので、生徒たちが退屈することはありません。
教師・講師の「熱量」はあるか
教え方が上手な先生は必ず熱い想いを持っています。
なぜなら、先生の仕事は、何も生まないかもしれないからです。
例えば、自動車メーカーで仕事をしている人は、必ず自動車を生産します。
デザイナーは洋服をつくりますし、パティシエはお菓子をつくります。
しかし「教える」という行為は、教わるほうが忘れてしまえばゼロになります。
また、教えたことを覚えてもらったとしても、それが使われるとは限りません。
何も生まないかもしれない「教える」という仕事をしている先生には、自分が教えたことで子供たちの人生がよくなるのではないか、という期待しかありません。
熱い想いはその期待から生まれます。
一方で、教え方が下手な先生は、この熱意がありません。
教科書の内容をかみ砕いて解説すれば「教えたことになる」と思っている先生の授業が面白いわけがありません。
学力を上げたいか
熱い先生は、子供たちの学力を上げたいと願っています。
なぜなら、学力を得た子供たちには、多くの未来が待っているからです。
学力が増えたことで人生を豊かにした人や成功した人はたくさんいます。
熱い先生は子供たちを幸せにしたいと思うので学力を授けようとするでしょう。
その先生は、学力を修得してもらうには、教えた内容を理解してもらわなければならないことを知っているので、上手に教えようとします。
知的欲求を高めたいか
勉強は、最終的には自分との闘いです。
先生たちは、勉強の基礎や勉強の進め方を教えてくれますが、応用したり進化したりするには、子供たち自身が能動的に学んでいかなければなりません。
したがって、先生が最もやらなければならない仕事は、子供たちの知的欲求を刺激することです。
知的欲求とは「知りたい」「賢くなりたい」という願望のことです。
先生が生徒に知的欲求を持たせれば、あとは放っておいても勉強を続けます。
勉強が趣味のようになるからです。
しかし知的欲求は簡単には膨らみません。
「知りたい」と思わせる授業を展開しなければならないので、先生の腕が問われます。
授業は好きか
教え方が上手な先生は、授業という仕事が好きです。
オーディエンスを前に高らかに歌う歌手や、大勢の観客を笑わせる漫才師のような気持ちで授業をする先生がいます。
その先生にとって教壇はステージです。
授業が好きな先生は、生徒たちにとって未知なる知識を解説したときに、生徒たちの間から思わず漏れる「なるほど~!」という言葉を楽しみにしています。
そして何年後かに元の教え子から「先生のお陰で数学(または英語、または国語、理科、社会)を好きになりました」と言われると、教師は天職だと思うでしょう。
テクニックはあるか
教え方が上手な先生は、常に「どう教えるか」「知識をどう届けるか」と考えています。
そうすることで教えるテクニックを磨きます。
声のトーンとボリュームは適切か
教え方が上手な先生は、声のトーンやボリュームを微妙に調整します。
先生が声を微調整していることに気がつく生徒はいないでしょう。
しかし先生は、喉の調子がよいときは居眠りする生徒が少なく、いい声が出ていないと沈没(熟睡)してしまう生徒が多くなるような気がしています。
それで、よい声で授業をするために、喉の手入れを怠らない先生もいます。
クイズ形式を用いるか、世間話を交えるか
教え方が上手な先生は、1分1秒たりとも生徒たちを飽きさせないようにします。
生徒たちに頻繁に質問をする先生は、教え方が上手です。
そのほか、クイズ形式にしたり、世間話をしたりする先生は優秀です。
もちろん世間話ばかりするようでは授業が進まないので、適度に用いることで生徒たちを飽きさせないようにします。
学校の先生は少しつらい
塾や予備校の体験授業に参加した子供たちの多くは
「学校の授業より楽しい」「時間があっという間に過ぎた」といいます。
それは、塾や予備校の講師が、勉強と授業を研究し尽くしているからです。
授業以外にもやるべきことがある
講師の使命は生徒たちの学力を上げることであり、そのためには「楽しい授業だった」と子供たちに思わせることが重要です。
子供たちは楽しいと思えば自ら進んで勉強をするようになるので、その講師の教科の成績が上がり、その講師の成果になります。
したがって講師たちは、プロフェッショナルとしての授業研究に余念がないのです。
もちろん学校の先生も授業研究に取り組んでいます。
しかし学校の先生の場合、子供たちの学力を上げる以外にも使命がたくさんあります。
学校の先生の使命とは、人格形成の支援や部活指導、就職指導、進学指導などです。
塾の講師のように授業づくりだけに専念することはできません。
賢い子も下位の子も不満になる
また、学校の先生の生徒数のほうが、塾講師の生徒数より多くなることがほとんどです。
少人数に教えるより、多人数に教えるほうが難易度が増します。
そして塾や予備校の教室にいる生徒たちの学力は、大体同じです。
それは、塾や予備校が、学力ごと生徒たちをわけるからです。
例えば、塾の「医学部受験コース」を受講する生徒は、偏差値が高い生徒ばかりです。
しかし学校の場合そうはいきません。
難しい問題を簡単に解ける生徒も、基礎問題につまずいている子供も、同じ教室のなかにいます。
それで学校の先生は、落ちこぼれをつくらないように、教室の生徒たちの「中の下」くらいの学力に合わせた授業をする必要があります。
そのような授業をすると、賢い生徒は「わかりきったことを詳しく説明しすぎる」と不満を持ちますし、下位の子供は「難しすぎる」と感じるでしょう。
つまり、学校の授業では必然的に「教え方が下手」という評判が立ちやすいのです。
学力を上げたい生徒ばかりではない
さらに、塾や予備校の生徒たちは「学力を上げたい」と真剣に考えています。
しかし学校の生徒たちは、異性のことを考えたり、部活動のことを心配したり、早く帰ってゲームがしたいと考えたりします。
つまり塾や予備校の講師は、笑いたがっている観客の前で漫才を披露するようなものであり、受けやすい状況にあります。
一方で学校の先生は、ロックやアイドルの歌を聴きたい観客のクラシック音楽を聞かせているようなもので、無視されやすい状況にあります。
まとめ~出会ったら手放さないで
教え方が上手な先生と出会ったら、手放さないようにしましょう。
学校の場合、学年が変わると先生が変わってしまうことがありますが、それでも職員室でコミュニケーションを取ることができます。
また塾や予備校の講師に教え方が上手であると評判の先生がいたら、その先生の授業を受けましょう。
カリキュラムの選択を調整すれば、受講できるはずです。
教え方が上手な先生は、人生の師になるかもしれません。
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この記事を監修した人
「大成会」代表
池端 祐次
2013年「合同会社大成会」を設立し、代表を務める。学習塾の運営、教育コンサルティングを主な事業内容とし、札幌市区のチーム個別指導塾「大成会」を運営する。「完璧にできなくても、ただ成りたいものに成れるだけの勉強はできて欲しい。」をモットーに、これまで数多くの生徒さんを志望校の合格へと導いてきた。