大学に進学するほとんどの人は、4年間の勉強を終えて卒業したら、企業の社員や行政機関の公務員になって働きます。
つまり多くの人は、ビジネスパーソンになるために大学に行きます。
ところが、大学の4年間の勉強を終えたあとも「働かず」「研究を続けたい」と考える人がいます。
その人たちは、大学を卒業したあとに大学院に進学して研究を続けます。
大学の教授や研究室で働く研究者になりたい人は、大学院に進学する必要があります。
大学と大学院の違いと、学士、修士、博士の学位について解説します。
大学院は大学ではないのか
大学院は「大学である」ともいえますし「大学ではない」ともいえます。
概念図で示すとこうなります。
大学には広義の大学と狭義の大学があります。
例えば、JR札幌駅北口の向こうに広がる広大な土地で高等教育を行っているのは「国立大学法人北海道大学」です。
つまり大学です。
これが広義の大学です。
北大には「学部」と「大学院」があります。
学部のことを、世間では大学と呼んでいて、これが狭義の大学です。
大学院は1)広義の大学のなかにあり、2)狭義の大学(学部)の上の存在、という性質があります。
完結はしているが上下の関係はある
「学部と大学院」は、「幼稚園と小学校」または「日本のプロ野球とメジャーリーグ」のような関係にあります。
幼稚園は幼稚園で完結していますが、小学校に行くことを「進学」や「上の学校に行く」といいます。
これは人々が幼稚園を下、小学校を上と考えているからです。
日本のプロ野球でやり尽くした選手はメジャーリーグに挑戦します。
そのため、メジャーリーグに行く選手は、日本のプロ野球選手よりすごいと考えられています。
しかしだからといって日本のプロ野球はメジャーリーグの2軍ではありません。
日本のプロ野球はそれ自体で完結しています。
4年制の学部を卒業すれば、一般的には大学を卒業したことになり、就職して社会に出ることができます。
しかし、4年制の学部を卒業したあとに大学院に進学する人たちは「4年の勉強では足りない。さらに研究をしないと本当の学問をしたことにならない」と考えます。
そのため大学のなかでも、学部は学部で完結しているにも関わらず「大学院は学部の上」とする考え方があります。
大学院という建物や部屋があるわけではない
「広義の大学のなかに学部(狭義の大学)と大学院がある」と聞くと、大学のなかに学部生用の建物と大学院生用の建物があるようにイメージするかもしれませんが、そうではありません。
部屋がわかれているわけではありません。
大学には大まかに、教室と研究室の2種類の部屋があります。
教室は、中学校や高校の教室と同じで、普段は空で、講義を行うときだけ教授と学生が集まります。
教室を使うのはほとんど学部生で、大学院生は滅多に使いません。
研究室はいわば、教授の部屋です。
大学院生は研究室で研究しています。
ただ学部生が3、4年になると、教室だけでなく研究室でも勉強します。
研究室は学部生も大学院生も使います。
大学院生は学部生の「お兄さんお姉さん」的な存在?
教授や准教授は研究室では「とても偉い」存在なので、まだ専門の研究を始めたばかりの学部3年生を直接指導しないことがあります。
学部生への初歩的な指導は、大学院生が行うことがあります。
学部生と大学院生は一体となって研究することもありますが、そこにはやはり「教える教わる」という上下関係があります。
北大は「メーンは大学院」と言い切る
先ほど、「4年制の学部を卒業すれば、一般的には大学を卒業したことになる」と紹介しました。
これは、「大学は学部をメーンにした教育機関である」という考え方に基づいた説明です。
これが一般の人の大学のイメージでしょう。
ところが、北大を含む全国の国立の総合大学は、大学院での研究こそが本当の学問追求の場であり、学部は学問の前哨戦のように位置付けています。
例えば北大の「基本理念と長期目標 」の1行目には「北海道大学は、大学院に重点を置く基幹総合大学」であると明記しています。
「学部は前哨戦、メーンは大学院」と言い切っているようなものです。
ただ、学部は前哨戦、メーンは大学院というスタンスをすべての大学が採用しているわけではありません。
むしろ国内のほとんどの大学は、学部での4年間で、学生にビジネスパーソンに必要なスキルを身につけさせて社会に輩出しようとしています。
研究者になるなら最低でも北大に行こう
もし中学生や高校生が、将来、大学の教授や研究室の研究者になりたいと思っていたら、最低でも北大には行っておきたいところです。
学部と大学院をセットにして進学プランを練ったほうがいいでしょう。
「最低でも」というのは、北大よりレベルが高い東大と京大に行けば、さらにレベルが高い研究をすることができるからです。
北大には東大卒の教授がたくさんいますが、東大や京大には北大卒の教授はあまりいません。
学士、修士、博士の違い
高校を卒業すると「高卒者」と呼ばれます。
しかし高卒者は正式な学問上の称号ではありません。
正式な学問上の称号のことを学位といいます。
学位は文部科学省の「学位規則」によって、大学または大学評価・学位授与機構が授与すると定められています。
学位には学士、修士、博士の3種類があります。
博士は「はくし」と読みます。
学士は学部(4年制)を卒業すると与えられます。
一般社会で「大卒」といった場合、学士のことを指します。
修士は、大学院の修士課程を修了した人に与えられます。
一般社会では「院卒」と呼ばれることがあります。
博士は、大学院の博士課程を修了した人に与えられます。
博士はとても希少な存在なので、一般社会でもきちんと「博士」と呼ばれます。
このことから、大学院は「修士または博士の称号を取得するための学校」ということがわかると思います。
「(学士)と(修士・博士)」と「(学士・修士)と(博士)」という分け方
学士と修士と博士では、何が違うのでしょうか。
英検1級、2級、3級や簿記1級、2級、3級のように、修得した知識量によるランク分けと考えることもできます。
修士と博士であれば、学士が持っている知識を当然に持っていなければなりません。
ただ、博士であれば修士が持っている知識を持っているかというと、必ずしもそうはなりません。
それは大学院の修士課程から急に、専門性が高い研究やオリジナルな研究が始まるからです。
学部の勉強はまだ、教授たちから「授けられる」勉強です。
しかし修士課程に入ると、自分で研究テーマを決め調査や実験を進めていくことになります。
そのため、博士課程の大学院生が、修士課程の大学院生の研究内容をすべて把握できていないことは珍しくありません。
そのため(勉強をする学士)と(研究をする修士・博士)は明確に分けることができます。
そして(学士・修士)と(博士)に分けることもできます。
企業によっては、特定の職種で採用するときに大学院卒(修士号取得)を条件にしています。
例えばある企業は、工学部卒の学士であれば営業職に回されることもあるが、大学院卒の修士なら開発職として採用する、という募集をします。
そうなると、就職のために大学院の修士課程に進学する人も現れます。
しかし博士課程となると、話が全然違ってきます。
博士課程を修了して博士号を取得するころには、30歳を過ぎていることも珍しくありません。
その年齢から企業の新入社員を始めることは、本人も企業もいろいろと大変です。
そのため、博士課程に進学する人の多くは「研究で食べていく」という覚悟を決めます。
それは「企業の社員にならない」という覚悟でもあります。
研究で食べていく覚悟とは、いわば「一生勉強しかしない」と誓うようなものです。
こうした覚悟の違いから、(本気で研究者を目指す博士)と(ビジネスパーソンになる学士・修士)は全然違う、と考えることができます。
修士や博士になるとよいことがあるのか
学部を卒業して大学院修士課程に進学すると、働かないので給料がもらえません。
そのうえ学生なので大学に授業料を支払わなければなりません。
修士課程を卒業して大学院博士課程に進学すると、無収入+学費出費がまた数年続きます。
そうまでして修士や博士になって(修士号や博士号を取得して)、よいことがあるのでしょうか。
「学位なし」と「学士」の差ほどの差はない
修士や博士を目指す人たちは、自分なりにメリットあると考えて、勉強と研究の期間を延長しています。
しかしそのメリットは、一般の人にはみえづらいものです。
それに比べると、学士を取得するメリットは、一般の人にも明確にみえます。
学士は「大卒」と呼ばれ、社会や会社のなかで重宝されます。
就職活動も有利に進みますし、就職後の給料も大卒以外の人より優遇されます。
学士号を取得していないということは高卒または中卒ということなので、社会では「学歴が高くない」と思われてしまいます。
もちろん社会での価値は学歴だけ測れるものではありませんが、学歴が高いほうが有利であることは厳然たる事実です。
ところが、特殊なケースを除いて、社会生活において修士や博士が、学士より優遇されることはほとんどありません。
むしろ博士のレベルになると「大学のなかにこもっている社会を知らない人」といったレッテルを貼られることすらあります。
大学院の博士課程で研究をしている人や、すでに博士号を取得している人のなかには「自分の研究が社会にどのように役立つのかわからない」と平気に言う人もいます。
真理探究の欲求があるか
修士号や博士号の取得を目指す人は、「俗世間的なメリット」を得ようと思っていないようです。
純粋に、学部の4年間の勉強では学問の真理をつかむことができないと考えている人が大学院に進んでいます。
まとめ~安易な気持ちで進学しないほうがよさそう
子供の数が減り、受験生が減っているのに、大学の数はほとんど減っていないので、大学を選ばなければ誰でも苦労なく学士になることができるようになりました。
おすすめはできませんが、「高校を卒業してすぐに働くのも大変なので、大学にでも行ってみるかな」という人は少なからずいます。
しかし大学院こそは、そのような気軽な気持ちで進学しないほうがいいでしょう。
なぜなら大学院では、本物の学問が求められるからです。
本物の学問とは、どうしても知りたくなったことを、高度な科学的な手法を使って探っていく作業のことです。
自分しか知り得ないことを知りたくなって大学院に進学するのが理想です。
真理をつかみたいという欲求がなく、ただたんに学歴を高めたいからという理由で大学院に進学しても、得られるものはほとんどないでしょう。
この記事を監修した人
「大成会」代表
池端 祐次
2013年「合同会社大成会」を設立し、代表を務める。学習塾の運営、教育コンサルティングを主な事業内容とし、札幌市区のチーム個別指導塾「大成会」を運営する。「完璧にできなくても、ただ成りたいものに成れるだけの勉強はできて欲しい。」をモットーに、これまで数多くの生徒さんを志望校の合格へと導いてきた。